「バイオリンの小部屋

2006年5月の日記
2007年7月の日記
2007年7月1日
大掃除しました。
  1ヶ月に渡る長期出張を追え、夫君がようやく昨晩帰国しました。実はおとといはオーバーブッキングのため、パラオ行きの飛行機に乗れず、グアムで一泊するというおまけつきでした^^;。
 あちきですが何分1人な上、閑散期で時間があったため、夫が不在の間、空いた時間は大掃除にあてていました。そしたら、今までの「捨てられない症候群」ゆえか、ドラム缶3缶くらいのゴミが出ました。捨てるに捨てられない不用品は、JIVEのスタッフに持っていったところ、皆大喜びでもらってくれました。こんなに喜んでくれるならとこちらも嬉しくなり、ドラム缶1缶くらいの不用品を引き取ってもらいました。
 それにしても、お一人様の暮らしは結構楽チンでした。食事も自分の食べたい簡単なものだけを作って、テレビや雑誌を見ながらダラダラ食い。思い立ったら、夜中過ぎまで掃除。1人だから洗濯物も少ないし。仕事もプライベートの時間配分も自分の好きなようにできるのですから、自立した女性がお一人様の生活をエンジョイしている気持がよくわかりました。
 部屋の模様替えに関しては、パラオにはインテリアショップなどありはしませんので、日本から持ってきたものや、希望のものにできるだけ近いものを地元で探して、アレンジして使うのが苦労といえば苦労です。
 そのうち、夫君にまた家の中を散らかし放題にされると思いますので、今のうちに大掃除&模様替えの成果を写真で公開しちゃいます。以前は、たまにホームパーティーとか、夜に夫が知合いを連れてきたりしたもんですが、最近は仲良しの友人達も皆帰国してしまい、そういう機会がないです・・・。たまにはハルミ(栗原はるみ)を気取ってホームパーティーでもしてみたいもんだー。(知らぬ間にNHK BSにも出てるしすごい売れてますね、ハルミ。)
 @ リビング&ダイニング         
                  
 左のダイニングテーブルには、今までビニールクロスをかけていたものを、思い切って取っ払ってみました。普段使いのお茶やサプリメントなどで、何かとごちゃごちゃになりやすいダイニングテーブルの上はカゴなどの入れ物で整理しやすいようにしました。キッチン用具は自然と白の物が集まりました。このアパートに入居の理由は作り付けのキッチンが気に入ったところです。
 右のダイニングテーブルとお揃いのリビングのテーブルクロスは、元は和風の暖簾だったものです。家で眠っていた物を真ん中から接合部分をほどいただけの簡単なものです。右はバイオリンコーナーです。バイオリンの台に使っている棚はアジア風のランチョンマット2枚で目隠し、箱やカゴに小物をしまいました。
      
 左は私のくつろぎコーナーで、リビングの一角に作りました。家の周りのグリーンを飾り、本棚には趣味の料理やインテリアなどの本が並んでいます。テーブルと椅子は以前お店で使っていたもの。真ん中は本棚の上2段を飾り棚にし、趣味のお茶やお香などの小物をアレンジしてみました。こちらには、夫のビジネス書が並びます。右のバスルームはバスカーテンやマットなどを南国風のプリントのものに新調しました。
2007年7月5日
JALが帰ってきました。
 @ JALが帰ってきました。7月2日より、JALの直行便が再び飛んできました。JALが休航の間、我ながらよくつぶれずにやってきたもんです。パラオの経済効果はやはりJALチャーター便によるところが大きいからです。JALのスタッフさん達は、JALあけの晩にさっそく当店にお見えくださり、ありがたいものです。4日の晩には、パラオ駐在でいつもお世話になっているジェントルマン島田さんもお帰りになりました。あとは、心配は天気だな〜。

 A 7月3日の夜は、大統領のお宅にお招きいただき、ごちそうになっちゃいました^^;。今、日本から知り合いの社長さんがいらっしゃっており、その方達と夫が招かれていたのですが、夫が言うには大統領夫人の女性の話相手がいないからということで、後で私も呼ばれ、御一緒させていただきました。たくさんのパラオ風のごちそう(これを某店で食べたら一体いくらになるかな〜と思いながら)をいただきました。タロイモの若葉のスープに陸カニのココナツあえに、五色えびのグリルに、おいしかったです^^;。
 広いお宅には海にそそり立つテラスがいくつもあって、その一つでお食事をいただきました。後半はパラオ語に残る日本語の話で盛り上がり、「オンガクブタイ」「ハブラシ」「ウンドウグツ」など、「それもパラオ語だったの?」という数々の言葉を改めて知りました。大統領は小さい頃におばあさんより「タミー、お前はナオラナイ!そんなことでは○○○(←放送禁止用語)になるぞ!」とよく叱られたそうです。改めてパラオに残る日本文化を感じました。

 B アボガトがシーズンです。
 毎年7月はパラオでアボガトのシーズンのようです。日本で出回っている南米産の紫のものとは見た目が違って、緑色のつるっとした皮のものが出回ります。が、数日もたつと同様に紫色になり、熟してきたサインです。輸入物もありますが、既に熟しすぎで割ってみるとドロドロで、身も少ない。が、パラオ産は身も多くおいしいです。シーズン物なのでいつも提供できませんが、シーズン中は見逃さずにお店のお奨めのメニューとして登場させています。
 今回は従来のものに加え、3品の新しいアボカドメニューを考えて、手書きの絵を添えたメニューを作りお客様に御紹介しているところ、日本人の方はその中から1,2品は頼んでくださいます。特に女性のお客様に人気をいただいております。今回のメニューは
・アボカトとまぐろのタルタルあえ、ガーリックトースト添え    ・アボガトとえびのサラダ
・アボガトとトマトの豆腐サラダ                 ・カリフォルニアロール
・アボガトとマグロのミニどんぶり    の5品です。
 全てソースの味は変えています。食事にしろ、飲み物にしろ、常に新しいメニューを考案し、お客様に飽きられないよう、また栄養ある旬のものをお客様に召し上がっていただきたいものと思っています。
 森のバターと呼ばれるアボカト(アボガドではありません)は、血中のコレステロール値を下げるのにも効果があるとか。この機会に是非、皆さんに召し上がっていただきたいものです。
2007年7月7日
七夕
 今日は七夕でした。夕方から風は強いものの、雨が降っていませんでしたので、ホールスタッフに浴衣&甚平を着せてみました。ちょうどタイミングよく、日本航空の誇るジェントルマン島田さんも、素敵な七夕のご衣装でご登場。せっかくでしたので、皆で記念撮影をさせていただきました。島田さんによると、毎年この時期は浴衣をご持参だったらしいのですが、例年雨が降り、着ることができたのは今年が初めてとのこと。数年ぶりに雨知らずの七夕だったようです。

前列左より
ハシモトさん、あちき、シマダさん
後列左より
コグレさん、ミッシー(JIVE)、エルシー(JIVE)、
テシマさん、ユミ(JIVE)
2007年7月19日
 またも新潟で地震
 
 悪天候が去り、最近晴天続きのパラオです。お客様も増え、お陰さまで忙しい日々を過ごしております。
 そんな折、「新潟・長野で大地震」のニュースが。数年前、大きな地震が新潟を襲ったばかりではないですか。ようやく復興の兆しが見えてきたときに、あんまりだー!
 新潟、長岡や弥彦近辺の親戚に、日本にいる家族が連絡を取ったところ、無事ということで少し安心しました。が、NHKで見る被害地の方々のご心労やご不便はいかばかりのものかと思われます。
 私自身は新潟に住んだことはありませんが、母方の先祖の出身地が新潟なので、新潟のことを思うと郷愁の念にかられます。新潟御出身の方の言葉を聞くと、懐かしい祖父母や叔父、叔母らのアクセントと同じで心地よく思います。思えば、戊辰戦争の時には西郷隆盛の軍に攻められ、第二次世界大戦では空襲にあい、殊に長岡はなぜもこんなに打撃を受けなければならないのでしょうか!?
 長野には中学の修学旅行でお世話になりました。(木曽のお六櫛の工房にうかがいました)海外にいて、仕事をほっぽりだして駆けつけることもできない私は、せめて多少なりの義援金を送ることしかできません。

 一日も早く被害地の方々の生活に不便がなくなりますようお祈りします。
 
2007年7月30日
 パラオを第二の対馬にするな!
  暦の上では雨季に入りましたが、ここ最近は晴天続きです。が、季節がら朝夕は急なスコールや強風があることも多く、終始安定したお天気とは言いがたい今日この頃です。

 さて、私達海外に長く住む者達に取りまして、貴重なお土産の一つは日本の雑誌です。(って、別に宣伝しているわけではありませんよ)先日は文藝春秋でしたでしょうか、某国の人達が大挙としておしかける日本の観光地・対馬の状況について、興味深い記事が載っていました。そこで書かれていることとが、パラオのことでは?と錯覚を起すほど、その内容は近似していました。対馬では、釣りや登山客が多いとのことですが、所かまいなしにゴミを捨て去る人が多く、免罪品の持ち込みや禁漁などで違法行為を働く輩もいるとか。今のところ、パラオではそこまでひどくはないと思いますが、人の敷地にがやがやとおしかけ、傍若無人な振る舞いとゴミを捨て去る彼らの行為は全く同じです。
 
 日本人の感覚からすると、人の敷地内に遠慮なく入ってそこに空き缶やタバコの吸殻を捨てていくというのは、にわかに信じがたいことです。もちろん、日本にもそれができない人が多からずいるでしょうが、彼らときたら、うちの店の前で観光バスを降りるやいなや(当店前の波止場を利用しているものですから)、老いも若きも子供以外はいっせいにタバコに火をつけ、所おかまいなしに吸殻を撒き散らします。家の店員も「日本人だったら皆携帯灰皿を持っているのにね。」の言うくらいです。そして、私が毎日手入れをしている花壇に、ひどい人は鉢植えにわざわざ吸いがらを投げ捨てていきます。そのあと、大声でわめきながら(とても談笑とは思えない)、人の店を突っ切り、ボートに乗り込む・・・。そして、海から帰ってくるとゴミは人の会社付近に置き去り、(まぁ、袋にまとめてあるだけいいですかね。)再び、タバコをポイ捨てし、釣って余った魚は釣り針がついたまま捨てていく。この釣り針が以前、ネコの口に引っかかり、病院に連れて行ったことがありました。
 再三、グループを連れている同国人のガイドに客に注意してくれるようお願いしましたが、彼らからして同じことをして何も疑問に思わないようなので、全く状況は変わりません。また、こういうガイド達は正規の就労ビザを持っているのかも怪しいものです。(だからすぐに人が変わってしまうので、注意をし続けないといけないのしょうね)

 以前、添乗をしているときには、やはり旅先でこの某国の団体と一緒になることが多々ありました。顔が似ているだけに、諸外国では日本人と一緒の車両や場所にまとめられることが多かったのです。それで、いつもお客様からは居心地が悪いと文句を言われていました。割り込みをする、大声でわめく、彼らの態度は10年前となんら変わっていません。が、顔が似ているだけに彼らと日本人とを勘違いする欧米の人達が多いので、その点は正直言い気持がしませんでした。
 
 偏見に満ちているわけではありません。日本人にもマナーのない人はいます。が、ここは海外なのですから、自分達の国でしているように好き勝手に汚してはいけないのです。また、そういった海外でのマナー(その国に応じた)を、嫌味なくお伝えするのが添乗員なり、ガイドの務めです。 旅行中残していくのは影だけ、とはよく言ったものです。
2007年8月13日
 さすがにお盆は忙しいニャー。
  今年のお盆は晴天に恵まれ、海も穏やかでお客様にとっては何よりです。ダイビングのお客様はこの時期、風向きの関係で滅多にいけないブルーコーナーにもたくさん潜れたそうですし、毎晩当レストランから眺める夕焼けも水平線上に落ちるので良い時期です。
 
 私目ですが、もう2週間以上休みなく働いています。ある日はレストランの営業と翌日のツアーのお弁当の仕込を終え家に帰ると24時。で、次の日は4時半に出勤・・・。嬉しい悲鳴を越して、苦しい断末魔の悲鳴だったりして・・・。
 この忙しさも今週一杯は続くと思われます。それまでは、とりあへず時間のあるときは睡眠時間にあててフル回転という日が続くでしょう。(フィリピン人)従業員達も同様に不眠不休で働いているので、自分ばかり休んでいるわけにはいきません。正直なところ、ここ数年はもう「がむしゃらに働く」ということはやめたのです。結婚前に添乗員をしていた頃、仕事である程度自己実現をするという希望は達しましたし、結婚後インパックがまだ小さかった頃も朝から晩まで働いていました。もう、年だし^^;、仕事の分量を減らして家事や趣味を充実したい、自分の体と時間を大切にしていきたい・・・と思っていたのです。が、今はミャーコの手も借りたい状況なので、私も彼らと一緒に夜遅く、朝早く働かないと間に合わないのです。

 「だったらもっと人を雇えばいいじゃん。」と言われそうです。が、閑散期と繁忙期の差がありすぎるパラオにあっては、繁忙期にあわせた人数構成では閑散期に人余りがします。外国人のアルバイトは禁止で正規の就労許可証を保持していないといけないので、簡単にアルバイトを雇うことはできません。パラオ人だったらそういった面倒はないのですが、実際問題、パラオ人でいい人がいれば雇いたいというのは、どの経営者でも共通している思いでしょう。

 この8月に「働きに来たい」という日本人の方がいましたが、結局おじけづいたか?来なくなりました。多少は頼りにしていたので、そのつけが回ってきています。また、この忙しい時期に休んできる輩がいます。7月末に盲腸の手術をしたのですが、術後休養ということで、もう2週間も休んできます。日本だったら術後1週間で社会復帰できる盲腸もこの国では大病なのかもしれませんね。行きつけの寿司バーのママさんは若かりし頃、盲腸の手術をして1週間後から腹巻をして仕事に復帰したそうです。責任感の差を感じます。
 朝から晩まで自分の分まで働いてくれる同僚達に大しても何の気兼ねもないようです。日本人の常識ですと、「長く休みをいただき、御迷惑をおかけしております。」とか「手術代を立て替えていただいてありがとうございました。」(本人の叔母が泣きついていたので立て替えてあげた)との言葉がまず出てくるものですが、そんな一言があるわけでもない常識のなさ?というか図太さというか?そういった性根の持ち主でないとこの国に出稼ぎにくるのは無理なのでしょうかね?

 ということで、予想外の出来事も重なり、断末魔の叫びをあげている今日この頃ですが、お陰さまで去年より忙しい状況であることには変わりませんので、ありがたき幸せなのです。落ち着いたら人数編成を一考することが必要ですが、まずは自分が休養しないと燃えつき居症候群にでもなりそうだニャー。
2007年8月の日記
2006年5月の日記
2007年8月21日
 雑感
@ やっと休み
 おとといやっと3週間ぶりに丸1日休みました。さすがに疲れがたまっていたのか昼まで寝てしまいました。普通の休みだと結局8時過ぎには起きて掃除、それからマッサージやエステに行ったりするのですが。昨日は昼ごはんを食べた後も何もする気にならないので、結局日がなゴロゴロ、寝っころがりながらの読書の1日になりました。やることはたくさんあるけど、まぁ、全くの休養日でよしとしました。
 読んだのは、この前リピーターのお客様に持ってきていただいた東野圭吾さんの「幻夜」でした。複雑にプロットが絡み合い、魅力的な悪女の主人公に引き込まれ、NHKの大河ドラマを見るのも忘れて読みきってしまいました。自分にとっての一番の楽しみはこの「ベッドでごろごろしながら雑誌や本を読む」ことです。
 以前、親方日の丸で働いていた頃は週休2日という恵まれた環境でした。すると、1日は大掃除と家事三昧の日、1日は自分のために使うことができました。が、こう仕事が忙しく拘束時間が長いとそんな贅沢は言ってはいられず、半日はゆっくり、半日は家事に当てざるを得ません。
 NHKの番組で偉いお坊さんが「毎日頑張るのは意外に簡単だが、休むのは勇気がいることだ。」と言っていましたが、その通りだと思いました。休みでもつい朝か夕方だけちょっと顔を出して忙しかったら手伝ったりしてしまいます。で、結局休んだ気分にはなれないのです。が、今日のように電話の1本も入れずに全く職場から遠ざかる日がないと頭も体も休まりません。が、後になって「忙しくなかったかな、大丈夫だったかな」と心配はしてしまうんですけどね。

A バトミントン
 運動神経がよくて活動的な夫はたいていのスポーツはこなしてしまいます。今までパラオでも野球(ソフト)、バスケ、バレーボールと声がかかれば参加してそれなりに活躍していました。そんな夫君が今一番凝っているのは「バトミントン。」とは本人の弁です。これまた、リピーターのお客様に頼んで先日ヨネックスのラケットを持ってきてもらいました。羽根も水鳥の羽らしきものがついた本格的なものを買ってきてもらいました。
 昨日23時過ぎに家に帰って遅い夕食をとったら、テレビゲーム(これが彼の一番のリラックス方法らしい)をしていた夫が、やおらラケットと羽根を持って1人で遊びはじめました。ので、私も「やりたい!」とテニスのラケットを引っ張り出してきて、リビングのテーブルやソファーを隅に追いやり、部屋内で打ち合いをしました。お陰で楽しいひとときを過ごすことができました。
2007年9月4日
 サクラ・サクラ
 8月末日到着の日本航空でいらっしゃったご一行様をこの4,5日間ご案内させていただきました。通常は、本業のレストラン業があるので、ガイド業はしないのですが、元添乗員ということもり、まぁ、実はこちらの方が本職と言えばそうですし(水を得た魚というか)、特殊な視察ツアーや通訳が必要なお客様には、あちきが借り出されて馳せ参じます。
 今回はご一緒させていただいたのは、もう数回目になりますが、関東の大きな会社の社長様とご友人の方々6名様でした。バベルダオブ視察ツアーを2日、その後は2手に別れ、お仕事組みは更にバベルダオブ州での調査、本体は海のツアーへご参加いただきました。私目は、丸4日間バベルダオブ島へ行き、「オーマイガーッ」・・・結構日焼けしちまいました。
 この4日間で会ったパラオの高官達、大統領に厚生大臣に、通産大臣に、某州知事に、まずは約束をすっぽかされなくてよかった〜と胸をなでおろすところです。ドタキャン、というのはたまにあることですが、今回はオール問題なしで、ご一行様のご威光のお陰です。
 こんなに濃い、集中して忙しかったことは久しぶりです。朝は、いちおうレストランに顔を出し(まかせられればいいんですけどね!)、目を光らせないといけません。そしてお客様と一緒にツアーに出かけ、夕方帰ってくると、マッサージにご案内したり、その後いったん帰宅して、急いでシャワーを浴びて化粧をして、皆さんを夕ご飯のレストランにお見送り。その間に自分の店に顔を出して手伝いつつ頼まれた用事を片付け、皆様のお食事が終わる頃にお出迎えにあがります。そんなことで4日の朝に皆様がお帰りになった後は、洗濯カゴ4カゴ分の洗濯ものが・・・。後半ははくパンツもなくなり、可愛い勝負パンツまではく羽目に。って、誰に見せるわけでもないのにさ。
 私が大急ぎで、家に帰ってきてほんの20分かそこらの間にシャワーを浴びて身支度を整えている間、休日で麻雀から帰ってきた夫は、酔っ払ってごろごろテレビを見ています。せめて洗濯くらいしてくれてもいいのに。洗濯機も乾燥機も全自動なのですから。夫が忙しいときは、少しでも快適に過ごしてもらおうと、さりげない世話を焼いているつもりの私ですが、その逆は全くあり得ない・・・ということがよーぉくわかりました。

 さて、ご一行様には、戦中にペリリューで玉砕された水戸第二連隊のご関係の方が数名いらっしゃいましたので、視察中にも戦跡があれば車、または船を停めて観光するといった感じでした。社長様にいたっては、私が足元にも及ばないほどパラオの戦中のお話、戦跡に詳しいので、ここは私もメモを取って教えを乞わせていただきました。
 そんな中で心に残る一つの話を紹介します。
 現在も「コクサイ」と呼ばれるガツパン州の村に残る元日本軍の通信司令塔があります。現在はもう崩壊してしまい、鉄塔が横たわっているところです。社長様が私のマイクを奪い^^;、ご案内をされます。
「こちらから、パラオで最後の電信文が日本に向けて発信された。電文の内容は『サクラ・サクラ』。これを受信したのが、(皆さんがいらっしゃった)茨城県古河市は八又の通信所であった。これを言いたいがために、ここまでやってきたのです、がっはっは。」
 日本の国花であるサクラは、春のほんの短い間だけ美しい花を咲かせ、人々の心を和ませます。サクラというと卒業式、入学式のイメージがすぐに思い浮かび、これからの新たな人生に胸を躍らせた若き日々のことが思い出されます。が、この「サクラ・サクラ」の電文の意味はそうではないのです。あっという間に、突風に吹かれてはかなく散ってしまうサクラの花の意味なのです。
 昭和44年11月24日、こちらの通信部から日本に向けて最後の電文が発信されました。「サクラ・サクラ・・・。」ペリリューで日本軍がサクラの花のように玉砕してしまった、という意味だったのです。当時の通信兵の方が一体どんなお気持でこの電文を打ったのか、想像に難いです。

 社長様からは、戦争時代の話だけでなく、本業のお仕事のこと、郷土の歴史のこと、またこれからどのようにパラオの発展に貢献できるだろうか、などと様々なお話を伺う機会があります。日本にあれば、とてもお会いできる方ではありませんが、パラオにいたお陰で色々勉強させていただいております。社長様から伺う当時のお話などは、現在生き証人の方々の代替わりが激しいときにあって、貴重なことです。私達の世代がまずは「知る」ことが大切だと思います。
 想像力を働かせても、現在のこの海の美しい、緑が青々とする、そして道路も整備され近代的なホテルが建つパラオに、当時の焼け野原のイメージが重なりません。が、月並みな表現ですが、現在私達がどうにかパラオでやっていけるのも、又パラオの人達が他の民族より日本人に親近感を覚えてくれるのも、全て先人のお陰だ、とつくづく思います。
 2日目の視察ツアーの最後にアイライ州に残る師団司令部に立ち寄りました。社長様のお話では、当時米軍から無線を傍受されているかもしれないと、こちらから泳いでペリリューに渡った伝令部員の方がいらっしゃったのこと。コロールからスピードボートで1時間もかかるところにです。当時の兵隊さんは、本当に偉かったのだというのが、正直な感想です。何という精神力、体力なのでしょうか。 戦中のパラオ時代に思いをはせると共に、日本人が古来から持つ侍魂を身近に感じた数日間でした。

  
2007年9月の日記
2007年8月28日
 人間的な生活・・・。
 21時くらいに帰宅できると、人間的な生活が送られることがわかった。昨晩は夫が取引先の大切なお客様達を当店にお連れしたが、思いのほか早くお開きになった。そのあと、弁当の仕込を終え店も落ち着いてきたので、早く帰ることにした。時計はまだ21時過ぎ。
 家に着くと(なんたって車で10分の通勤時間ですから)軽めの夕食。店で散々味見をしているので、そんなにお腹は減っていないので、たいてい暖かいうどんか蕎麦ですませることが多い。これに卵を落として、油揚げをきざんで、ねぎをかけるとそれだけでご馳走なのだ、私にとっては。そのあと、テレビゲーム(これが彼の最高の息抜きらしい)をする夫の傍らで、お顔の手入れ(マッサージや美白パックなど)をしながら、料理本をめくる。やっぱり、道場さんはすごいな、一度行ってみたい「六さん亭」。ながら族なのは時間の有効利用のため仕方がない。時折、今日あったこと等について夫と会話を交わす。すると、時計はあっという間に23時。2階へ退散して読みかけの東野圭吾さんの本を読みながら、目がしばしばしてきたところで、おやすみなさい・・・。

 翌朝。酒もタバコも飲んでいない、早く寝た次の朝はなんと気持のよいこと。これをよく心に刻んでおくことにしよう。自然に6時に目が覚めたので、そのまま起きてTドックまで往復30分のウォーキングに出かけた。今朝は満潮で潮が満ちていて、海際の散歩の気持のよいこと。涼しい。朝焼けの海をバックにしたココナツの木が絵のようだ。手には、ビニール袋と園芸ばさみ。帰りにその辺の花を摘んで帰り(人様のお家にものではありません)、家や会社に飾るためだ。
 家に帰ってシャワー。身支度をしている間、家中の窓を開けて空気の入れ替え。

 こんな普通の生活が実は一番幸せなのだと実感する。こんなことは恵まれた状況にあるときには、その貪欲さゆえ実感できないことだ。後になってありがたみがわかるということもある。こんな日常を満喫し、そういった生活を送れることに感謝しないといけない。
 が、こんな「人間的な普通の生活」を送るには、仕事が忙しくない・・・ことが必須条件である。これは生活の基盤である経済活動とは矛盾していて、難しいところ。せめて、リビングに草花を飾る余裕くらいはある生活を送りたいものだ。 
 
最近JIVE前の工事が始まった        もん吉君、最近遊んであげられなくごめんね。 お得意の「かいーの。」ポーズ
何のためかは後日発表・・・。
2007年9月の日記
現在もロックアイランドに残る戦跡より
左:日本軍の給油庫
右:沈むゼロ戦
「サクラ・サクラ」の題名の映画が、数年前現在の大統領が古河市を訪れた際に記念上映されました。プロデューサーは泣く子も黙る文中の大社長様です。
2007年9月6日
 危機一髪!遺失物発見。
 前述の社長様ご一行達がお帰りになり、大仕事を終えた私目は、昨日は久しぶりに一日休みました。とりあへず、たまりにたまった洗濯物は片付けましたが、その他の掃除はやる気にならず。買い物に行くのも億劫。せめてマッサージに行ったり、新しく出来たお店を覗いてみようなどという楽しいこともする気になりません。結局、洗濯&冷蔵庫にあった残り物を食べる以外は、日がなごろごろ、ベッドで本を読んでダラダラ過ごしてしまいました。

 ということで、今朝もやる気の出ないどよ〜んとした気分で、出勤してみますとレストランのカウンターで何やら最近パラオにお越しになったYさんが従業員とやりとりしています。聞けば昨晩、当店に寄られた際にウェストポーチを忘れていったのでは?とおっしゃるのです。が、Yさんがうちの夫君と店を出たときはYさんの腰にはちゃんとウェストポーチがあったことを、ウェイトレス達が見ていました。そのあと、夫と車でDという中国人のホステスがつくカラオケに行ったとのことです。車の中にもポーチはなかったので、おそらくカラオケ店Dで忘れたのではないか?というのが推察でした。
 誰が呼んだのか「遺失物」の届出ということで子グマさんのような顔のお兄さん警察官がやってきました。上記のようなことを詳しく説明し、調書を取られました。Yさんは、おそらくカラオケを歌ったときに、ポーチを外したかもしれない、店にはほんの30分くらいしかおらず、帰るときにポーチがないのに気づき、ホステスにも探してもらったが見つからなかった。ということでした。その後に警察署に場所を移して、再び調書を取られます。班長さんには「もう犯人は中国に逃亡してるよ。次回からは、なくしたことが分った時点ですぐに警察に来るように!」とご指導いただきましたが、ポーチの中にかなりの金額のトラベラーズチェックと日本のパスポートまで入っていたので、気が気ではありません。「中国系のカラオケ店」でなくしたというところに警察官は引っかかったのか、「今から、店とホステスの寮に探しにいってやる。」ということになりました。
 Yさんは、日本でのお仕事をリタイヤされ、パラオの子供達のスポーツ指導のために最近パラオにいらしたばかりです。調書を取り終えた後、文部省で話し合いのあるYさんを送り届けて会社に帰ってくると、さっそく警察より電話があり、「おーい、感謝しろ。ポーチを見つけたぞー。」とのことでした。すんばらしい速攻劇です!が、中身を見るまではまだ安心できません。
 さっそく、話し合いを終える頃のYさんをお迎えにあがり、そのまま警察へ直行しました。警察署に行くと、班長さんの机の上に黒いポーチが。「おー、あったー!あーりがとうございます。」中身を見るとまずは真っ赤なパスポートが目に入ります。そして、トラベラーズチェックを「いちまーい、にまーい。」と数えて見るとな、なんと全部ありました。どこで見つけたか警察官に聞いてみると、カラオケルームの「ソファーの下にあった。」とのことでした。Yさんは両手で係りの警察官と握手をしてほっと胸をなでおろしました。
 海外での遺失物はまず、見つからないと思っていいと思いますが、今回は奇跡的発見です。というか最初から店に見に行けばよかったのですが、店が開く夜まで待っていては見つからなかったかもしれません。
 天国から地獄、また天国にと、Yさんはハラハラされたことでしょう。警察の皆さん、お世話様でした。
  
2007年9月12日
 趣味の書道に挑戦!
 まもなく恒例の団体様もいらっしゃいますし、今週末から15日から月末まで再び忙しくなりそうです。(ならないと困りますけどニ〜。)脱力病は治り、先の休日には有効に時間を使うことができました。最近は本来の専門の翻訳と通訳の仕事がちらほら飛び込んできて、大いにやりがいがあり、嬉しいところです。が、レストランに目を光らせる時間が少なくなるので、誰か日本人の応募者(料理人)の方、いらっしゃいませんかね〜?お知り合いでご興味ありそうな方いらっしゃたら、是非ご紹介ください。

 さて、いつもはゆっくり買い物にでかける時間もないのですが、まずは新しくオープンしたブルーマリン(ダイビングショップ)のお土産屋さんを覗きに行きました。かわいいTシャ達はオリジナル製品とのことで、一枚ゲットしました。その後、スランゲルに買い物に。ここは日本食があまりないので普段はあまり行かないのですが、たまに覗いてみると変わったものがあったりもします。イタリア製のほうれん草入りフェットチーネを見つけたので、その日の夕飯はイタ飯風!に決定。やっぱ、ほうれん草とサーモンとホワイソースがあいますかね。運良く、冷凍のほうれん草とサーモンフィレを発見したので購入。家に帰る前に、JIVEに寄って、おいしいオーストラリアの白ワインを購入。付け合せには、具たくさんの野菜とベーコンを入れたミネストローネとチキンとモッツァレーラのペッパー風サラダ。チーズとチキンにたくさん胡椒を振ります。ドレッシングは手製のフレンチドレッシングにぎゅっとパラオレモン(家になっている)を絞ります。 これらをNHKをみながらいただきまーす!

 またその日は、掃除、洗濯を早めに終えたので、前からやろうと思っていた書道に挑戦してみました。目標は相田みつをみたいなヘタウマ風。が、これが難しい・・・デスネ。習字は小学校低学年から高校まで書道を習っていたので、割と正統派なんです。なので、崩すのは難しい。おまけに最近では日本語を手書きすると言う機会は滅多にないことです。みつをさんの文字をまねしたら自分の個性がない。自分なりの「字」を習得するまではかなり時間がかかりそうです。今日は、書きたかった宮沢賢治の「風ニモマケズ」と般若心経、そしてみつをさんの格言をいくつか書いてみました。たまたま、習字セットや般若心経のお手本は、以前パラオにお見えになった銀座のママさんがくださりました。が、文鎮がないので、どなたか南国で無聊をなぐさめる私目にお譲りくださらないでしょうか・・・。
2007年9月19日
 泳げないパラオの子供だって。
 なんか、ここのところ雨季らしいイヤーな天候です。夕方になると、どーっとスコールが降って風が強くなるという、オープンエアのレストランにあっては試練の時です・・・。昨晩は、そんな天候にもめげない元気なお客様がたくさんいらしてくださりありがとうございました。その中に、ひときわ目立つ(目を引くというより「目立つ」です。)美男子2人が。我がアイドルの動物病院の先生(お顔を拝みたい方は6月6日の日記、あちき達のコンサートの様子を見てね)とお友達の国立病院の歯医者の先生がお見えになってくれました。(二人はいつも一緒のようですが、まさかそっち方面の方ではないですよね。。。)こんな整った顔で、背の高い男が二人では、こんなド田舎では目立ちすぎですよ〜。。。動物病院の先生はルーマニア、歯医者さんはチェコスロバキア出身です。東欧には、こんなにお目めの保養になる男ばっかなのかなぁ。行ってみたい。

 と、昨日はちょっとウキウキできたので、気を取り直して日中は今日はパラオの小学校視察です。こちらに長年住んでいますと本業以外にも、色々とお手伝いをさせていただくプロジェクトが出てきます。今までも、会社設立や裁判にかかわる通訳、翻訳などを頼まれればやってきましたが、今関わらせていただいているのは、バベルダオブに肉牛の牧場を作るプロジェクトと、パラオの小学生にバレーボールを普及することです。今日はこの後者の関係で、文部省のアレックス先生と、長崎からパラオ人の子供にバレーボールを教える夢を抱いてやって来られたYさんと一緒にコロールの主要な学校の校庭、施設の見学に行ってきました。
 今後は学校のカリキュラムや課外活動にバレーボールを取り入れてもらい、将来は日本人チームとフレンドシップマッチを行うというのが、Yさんの夢です。が、本日わかったパラオの体育事情というのは、日本のそれ(とは言っても比べる対象はあちきがガキの頃の話ですが)とは程遠いものでありました。
 まず、体育の授業はなんと1週間に1時限しかないということ。なので、アレックス先生によるとこの限られた時間で色々と指導をしていくのは大変だそうです。課外活動も滅多にないようです。というのも、スクールバスの送りの時間があるので、それに合わせて帰らないといけないからです。あちきの小さい頃は体育の授業は週に3〜4回はあったと記憶しています。そしてその時間がなんと楽しみだったことか。体育を通して、基礎体力を作るだけでなく、競争、協力や忍耐、挫折ということも学んだものです。そして、小学校には歩いて20分かけて通いました。こちらでも、歩いて長時間の距離を通学という生徒は少ないのに、随分甘やかせられたもんです。毎日2時半には学校が終わって、家に帰ったらスナック菓子を食べながらテレビを見たり、プレステをしたりという子が多いようで、子供の「肥満」も問題になっているとか。最近では、海に囲まれた国にあって「泳げない子供」も多いそうです。「俺たちが子供の頃はそんな子は1人もいなかったのに!」とは、アレックス先生がお嘆きでした。本日、見学に行ったある小学校では、週に一度の体育の授業というのに、校庭ではなく教室で座学による授業を行っていました。理由は、「地面がぬかるんでるから・・・」と言っていましたが、ぬかるみはほんの一部、外は晴天です。少ない体育の授業のカリキュラムに加え、この外での遊びに慣れない子供をいかに外に出すかから、Yさんの戦いは始まるかもしれません。
  
 写真左:最近手作りのポールを作ったというコロール小。生徒数620人のマンモス校にあって、体育の先生は彼1人。
 写真右:目の前が公共の野球場という恵まれた環境にあるミューンズ小。芝生で柔軟体操をしています。
  
2007年9月30日
 今も昔も変わらぬパラオ人
 いつか読んでみたい物語の一つに中島敦の「南島譚」がある。中島敦は、1941年に書記として南洋庁に赴任した経歴があり、当時のパラオで過ごした。若くして夭折した昭和初期の作家の1人である。中学の教科書に「李陵」が載っていたし、その他の名作には「山月記」等がある。ある雑誌で読み知った「南島譚」に収められた話の一つの荒筋に、こういうものがあった。
 ある日本人男性(モデルは作者本人と思われる)が、手先の器用なパラオ人の老人に木彫りの人形などを作らせては小遣いを与えていたが、だんだんとその要求額が大きくなっていく上、作品の出来栄えはそれに反して劣っていった。ある時、腹に据えかねた主人公が老人を注意すると、老人は憮然とした態度で出て行った。後で気づいたところ、主人公の机の上から大切にしていた懐中時計が消えていた。それから老人と交流が絶たれてから数年がたち、死が近づいた老人は久しぶりに主人公を訪れ、病院での治療費を出してくれという・・・。なんと、現代パラオ人を彷彿させることか。

 パラオには友好団体や、篤志家の方達が多くやってきてくれるし、仕事上そういった方達のお手伝いをすることもある。が、単純にパラオ人を「のんびりした良い人達」と思って何かと発展のお手伝いをしようとする方々に対し、時間や約束を守らない、あげくの果てはかなりひどい裏切り行為に出た者も少なくない。最近はひどい反逆行為は少なくなってきたものの、遅刻、約束をドタキャンすることは日常茶飯事なので、コーディネート側としては、彼らを「良い人」と信じる日本人の方々に対して、どうにか彼らのパラオ人に対する好印象を壊さぬよう、その場を取り繕うのに苦労するものだ。ちゃんと約束の時間にやってくるかも、その度にヒヤヒヤさせられる。

 こんなことが最近あった。年に数回、パラオにいらっしゃる有効団体の方々。彼らの主催でパラオの高官達に加え、一般パラオ市民の代表者達が10数名ほどパーティーに招かれる手はずになっていた。が、蓋をお開けてみれば、一般市民代表は誰一人として会場に姿を現さず。「俺が招待状を出して、全員連れてくるから大丈夫だ。」と彼らへの連絡係を買って出た政府高官の1人が、実は何もしていなかったらしいことがわかった。彼は夫人共々何回も日本に招かれ歓待されているのにもかかわらずだ。全くことの重大さをわかっていない、人の好意や期待をいとも簡単に踏みにじることか。日本からのお客様はそれぞれに着飾り、市民の人達に渡す日本の民芸品などのお土産品をそれぞれお持ちになっていたのだ。
 自分に置き換えてみると、お金を取られることまではなくとも(店のつけを踏み倒そうという輩は別にして)心情の上で、パラオ人に裏切られることは残念ながら日常茶飯事だ。昨日まで可愛がっていた従業員が無断欠勤してそのまま姿を現さなくなる。
  時代は違うものの、日本人の良識からするとにわかに理解しがたい民族の姿が「南島譚」に描かれているようで、是非とも一読してみたいものだが、こんな海外の田舎にいると日本の書籍を取り寄せるのは困難でなかなか実現していない。
   
写真左:インパック左手前旧波止場が埋もれてしまうくらいの満潮。中秋の名月の日は大変潮が高く、7.2フィートありました。地球温暖化の影響で水面が上昇している感も否めず。
写真右:JIVE拡張工事に伴い、脇の花壇も整備してみました。フィリピン人の知り合いの庭師のおじさんと大汗かいての作業。早く大きくなってたくさん花をつけてくれますように!庭のお手入れは毎朝の楽しみ。