| 2006年5月3日(水) |
| 一ヶ月ぶりの練習 |
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一ヶ月ぶりに楽器を持った。この1ヶ月色々あったからな。忙しかったし、日本にも帰ったし、風邪も引いたし・・・と、言い訳の毎日で、大変ご無沙汰ぶりにスガワラバリウス(愛器の名前)のケースを開けたのであった。調弦はどうにかできるものの、いざ音階からはじめてみると、左手が心元ない。。。力が入らないというか(力を入れてはいけないのだが)。1日さぼると、勘を取り戻すのに3日かかる、とか聞いたことあるもんな。それが1ヶ月ぶりの練習なんて、大変なもんだ。もう、1年くらい楽器の調整にも毛替えにも出していないからな、弓がすべるんだ、と物のせいにしたりして。なーんて、一番悪いのは腕です。わかってます。 久しぶりに楽器を持ったときは、どうしたらいいのでしょうか?勘を取り戻すためにとにかく弾ける曲をひきまくるのか?それともカイザーや音階などの基礎練習だけにしとけばよいのか?同じ状況にある仕事を持つバイオリン練習者の方、是非お便りくださいませ。
と、記念すべき最初の日記は反省文であった。とほほ・・・。
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| 2006年5月12日(金) |
| 掃除しないと! |
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GWが終わり、パラオは全体的にのんびりムードです。私はようやくたまった家事にとりかかっています。日々の仕事をしながらですので、たまに知り合いのフィリピン人にお手伝いをしてもらうことにしました。日本と違って、お手伝いさん(こちらではドメスティックヘルパーと呼びます)の相場はいたって安いところは助かります。(その点、文化が違うので教え込むのは大変ですが^^;)
というのも、おとといアイメリーク州で果樹園をやっておられる小松さん邸を訪れて反省したのです。お宅に伺うほんの20分くらい前に「今から伺ってよろしいでしょうか?」と電話をいれたのですが、いつ伺っても本当にきれいになさっているのです。インテリアなどにも凝っておられてそれは素敵なお宅で、伺う私も家をきれいにしたいな、するべし!と思うのです。今の状況では我が家にはとても急なお客様などお招きできません。小松さん邸はご主人が設計して、地元の大工さんを雇って建てられました。作りつけのカウンターキッチンとか、奥様の飾りつけとか、とてもパラオとは思えません。全く生活臭というものがない・・・。我が家では、サプリメントやらペンやら、ムースやら、雑誌やらが散らかり放題です。乾いた洗濯物もそのままであったり。。。Kさん宅ではそういうものは、一体どこに置いてあるのでしょうか?パラオには日本のようにおしゃれなインテリアショップがあったりするわけではないのですが、工夫と努力とセンス次第では、こんなに素敵に暮らせるのだと感心しきりです。
その日は、こちらから伺ったのに、奥様が私目にと、かわいらしいお花の鉢植えを作っていてくださいました。レストラン飾りました。(右上の写真です)
こちの農園(BAIDCファーム)では、訪れた観光客の方々に農場で出来たフルーツやそれを使ったジュース、お茶などを出してくれます(インパックの陸のツアーで立ち寄ることもあります)。グアバやレモングラスの葉から作ったお茶がなどのお土産物も売っています。すっきりさわやかな味で、ダイエットにもよさそうです。パラオというと、ダイビングのイメージが強いですが、最近はノンダイバーのお客様も増えつつあり、ダイビング以外のパラオも是非皆様に知っていただきたいです。
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奥様がつくってくださった可愛らしい鉢植えです。種から増えるそうなので、チャレンジしてみたいと思います。今度、お願いしてお宅やお庭の写真も取らせていただきたいです。

同じく奥様のお庭で咲くお花の種をいただきました。撒いてみましたら、数日で発芽。こんな小さな命も一生懸命芽吹こうとしているのを見るに付け、私も元気が出てきます。
緑に触れるのは心が癒されますね。
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| 2006年5月20日(土) |
| 自分にご褒美、エステの日 |
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| 2006年5月23日(火) |
| パラオをきれいに! |
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最近、頭を悩ませていることの一つ。朝、職場に来ると、レストランの脇道の芝生の上に煙草の吸殻が落ちていること。 ご丁寧に私が手塩にかけて可愛がっている、鉢植えちゃん達の中に投げ入れてあることも・・・。あまりに心無い諸行ではありませぬか・・・。
原因は、毎晩夜釣りに出かける団体客が、歩き煙草をし、そのまま芝生の上へ吸殻を「ポイ捨て」していることにあるようだった。
日本では自治体によっては、歩き煙草が禁止されている。昨今では駅のホームなどでも喫煙コーナーをあまり見かけなくなった。 歩き煙草もポイ捨てもする人も一時期に比べて多少は減ってきたのでは?
私が添乗員だった頃、煙草を吸うお客様たちは、休憩箇所では「ポケッロ」(煙草の吸殻を入れる小さな袋)を持ち歩いている方がほとんであった。 特に北米では禁煙できるところが極めて少ないので、喫煙するお客様方は大変だったことと思うが、殆どの方がマナーを守ってくださっていた。 海外に出かければ、旅行者としてのマナーがあるのは当たり前と思う。
が、実際のところ、パラオの美しい海に向かって吸殻や残飯やゴミを投げたりする地元の外国人、旅行者達がいるのは事実だ。 うちのレストランは海に面しているので、いらしてくださるお客様のためにも、海はきれいに保ちたいと願ってやまない。 レストランにいらっしゃる観光のお客様が「ポイ捨て」をするのを見たことは一回もない。 なので、日々の煙草の吸殻を「一体誰が?」と思っていたのだが、毎晩夜釣りに行く団体客が、バスを降りるなり煙草に火をつけ、ところかまわず、灰を撒き散らし、そのまま吸殻まで投げ捨てていた・・・。 「私達は海外にいる外国人なのだから、パラオを汚してはいけない。また、またあなた達が捨てる吸殻を私達が毎日掃除している。どうにかならないか?」と、ガイドに注意を促したが、ガイド自ら同じことをやっているので、らちがあかない。 彼らは、なんでそんなことを言われるのかとばかり、「キョトン」としているか、笑ってごまかすかだ。 この団体であるが、彼らのボートまでうちの敷地内を通り抜けるだけである。 つまりは、勝手に他人の敷地内にゴミや吸殻をなんの不思議もなく投げ捨てていくのだ。
インパックや他の日本人のツアーサービスのパラオ人ガイドや運転手達は「サンゴノウエニタタナイデクダサイ」とか、「ウミニゴミヲステナイデクダサイ」などと覚えて、スノーケルポイント等で、お客様にお願いをしている。 パラオの一番の産業は観光業、そして一番の観光資源は美しい海です。 くれぐれも、これを汚さないようにしたいものだ。 また、同様に煙草のポイ捨てなどして、町を汚さないのも当然のことである。(シンガポールでは捕まりますよね!)
そんなことを考えながら車を運転していたら、パラオのゴミ収集車であろうか、「パラオの自然を守る会」の文字が車体に書かれた車を見かけた。日本の友好団体からの寄贈だと思うが、日本にパラオの自然を愛し、守ろうという有志の方々がいらっしゃることを忘れてはならない。

私が可愛がっている鉢植え達です。わざわざ、これらの ここ最近の店からの夕焼けの眺めです。日没後の残照
鉢植えの中に煙草の吸殻を捨てていくなんて、あんまり がなんとも言えず美しかったので、あわててパチリ。
じゃ、あ〜りませんか?。 (モデルははインパック・ヒデキかな?)
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| 2006年5月25日(木) |
| ミャー子大脱走事件 |
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今日はミャー子が脱走して大変でした・・・。 昨日ミャー子は我家にお泊りしました。昼ご飯を食べさせた後、外に出てトイレに行きそうな素振りなので、数分間外に出しました。不安は的中し(だったら、はじめっから出さなければよかったのですが)、戻って見るとミャー子の姿は消えていました。 あたりを探してみても見当たらないので、「やっぱり、猫は犬のように帰巣本能はないし、ミャー子との縁もこれまでだったのか・・・。」と落ち込んでたらところ、家の裏のフィリピンストアの壁のあたりから、ミャー子の泣き声が聞こえます。 どこか小さい穴を見つけて入って遊んでいるのかも、そのうち、出てきてくれないかなーと期待していたのですが、その後も全く姿をあらわさず、しかし泣き声は同じところから聞こえてきます。
その場所はフィリピンストアの倉庫の壁にあたるので、もしやどこかの穴から倉庫に落ちて出られないのでは?と思い、ストアの店員さんに倉庫に入れてもらいました。すると、ミャー子の姿は見えませんでしたが、コンクリートの壁のあたりから、ミャー子の泣き声が聞こえています。その声は助けを求めているようにも聞こえます。再び、ストアの壁のところに戻り、ミャー子の泣き声がするあたりにコンクリートにベニヤが貼ってあるのを少しはがさせてもらいました。(お店の方に断って^^;)すると、上部に5センチくらい針金のネットを張った空間があり、そこにミャー子が小さい顔や手を押し付けて、ミャーミャー泣いていました。 小さな歯で鉄のネットにかじりつき、小さな手でそのネットを押して出ようともがいているようです。「ミャー子待ってろ!今助けてあげるから!」よく観察すると、トタン屋根と木の枠組みの隙間にいたので、トタン屋根の釘を馬鹿力ではがして、ミャー子救出に成功しました。
お店のお兄さん、お騒がせしてごめんなさい。ちゃんと、屋根と壁は元通りに修復いたしました。あとで、何か買いに行きます。 今後は猫の習性を勉強して、事件が起きないように気をつけます。ミャー子はすぐに泣く甘えん坊なので、それが幸いしました。ミャー子が見つかって本当に良かったです。って、迷惑かけてすいませんでした。ぺこり。

ミャー子迷子になった頃。 その1ヶ月後のミャー子。少し大人の顔になりました。
バイオリンケースの後ろで寝て今お目覚め。
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| 2006年5月29日(月) |
| モーツァルト生誕250周年か・・・。 |
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今年はモーツァルト生誕250周年だそうで、パラオにいてもそのくらいの情報は雑誌などを通じて入ってくる。日本では、さぞかし、モーツァルトがらみの演奏会が多いのだろうな。ツアーでもモーツァルト関連の観光地を回る企画がたくさん出ていることだろう。モーツァルトは特に好きというわけではないですが、パラオにいると、そんなモーツァルト熱を実感できず残念です。
先日、仕事から酔っ払って帰ってきたら、唯一見ることのできる日本のチャンネル、NHK衛星でモーツァルトを取り上げていた。番組は主に食品や健康の話題に科学的アプローチをする「試してガッテン」だった。途中から見たし、酔っぱらっていたので、全ては把握できていないのだが、内容は「そんなことで割り切っていいのでしょうか?」というものだ。モーツァルトのあまりある数々の楽曲の中からアイネクライネナハトムジークを選び、分析したところ、主要3和音が頻繁に出てくる・・・だから、たくさんの人に受ける音楽である・・・。それが人気の秘密である・・・。みたいな感じだった。なぜかというと、ドミソはいいけど、ドミ♯ソは気持悪いし、音が遠くまで届かない・・・。とか。私はドミ♯ソのほうが気持いいですけどね。
数年前に見た番組では(今年のこのブームの下地を数年前からマスコミ各社はやっていたのですね)、検証分析の結果、彼の音楽では高音域がたくさん使われるので、人々を心地よくする・・・みたいな結果だったと思ったが・・・。
天才と言われるモーツァルトの音楽ですから、素人の分析ではまだ計り知れないものがあると思う。一時間の番組枠ではとても解析など不可能なのでは、と凡才の私は思った。
で、私もブームにあやかって、今日は久しぶりにアイネクを弾いてみました。数年前、日本で師事する先生の合奏団の合宿で、第二Vnを弾いたことがあります。今日は(も)一人ぼっちなので、第一楽章の第一Vnと第二Vnを弾きました。輪をかけて下手になっていたので、これを録音したら、さぞかし迷演奏になったことと思う。スピカートの制御が一番難しいです。 当時の合宿のときには、楽譜をもらったときは初見で、次の日に発表だったのだが、大先生をはじめ、他の数人の先生にもご指導いただいた。ある先生に、「そんなベートーベンみたいなクレッシェンドは合わない。フォルテもそんな大きな音ではない。君の弾き方は、モーツァルトではなーい。」と言われましたので、「なーんて、弾きにくい曲だ。いーもんね。」と思っていました。当時は宮廷音楽の時代ですから、宮廷のサロンで弾くように上品に弾かないといけないのだろう。
他にもモーツァルトの曲はあまり弾いたことはない。つまりは、教本には滅多に登場しないということだ。(鈴木はバッハとビバルディばっかだもんね。。。9巻と10巻はモーツァルトのコンチェルトだけど、そこまで到達できるのは学習者の何割だろうか。)まあ、かなり腕がないことには、弾きこなせないようになっているのだろう。大先生も「モーツァルトのことを考えると、ますますわからなくなる。」と他の生徒におっしゃっていたとのことなので、やはり、天才の音楽はそう簡単には分析などできないのだと思う。むりやり答えを出すよりは単純にモーツァルトの曲の演奏会の録画を流してくれたほうがよっぽっどありがたいにゃー。
あと、今年はショスタコービッチのアニバーサリーでもあり、こちらは生誕100年記念とのこと。個人的には交響曲5番が好きです。

この部屋ののタイトルは「バイオリンの・・・」なのに全くバイオリンの話題が出てきませんね。って、練習は1日1時間くらいはしてます。ただ、レッスンを受けたり、一緒に練習する仲間がいないので、話題がないだけっす・・・。上は、音階の後に毎日練習している教本「シュラーディック」です。左手の練習です。修行僧のようにもくもくとやるものです・・・。教本は他にカイザーと鈴木です。
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| 2006年5月31日(水) |
| JIVEのユミ、日本のテレビに登場。。。 |
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日本のテレビ局より、朝の情報番組「知っとこ」のDVDが送られてきました。この番組の後半で、「世界の朝ごはん」というコーナーがあって、5月13日の放送ではパラオが取り上げられました。そこに登場していた女の子は、何を隠そう、うちのレストランのウェイトレスの「ユミ」(パラオ人)なのです。本当はこのHPで放送前に「是非、見てつかーさい♪」と宣伝したかったのですが、アップまで時間がかかってしまい、間に合いませんでした。
某ブログのパラオコーナーで「知っとこにインパックのカイポ君が出てるのを見ました。」などのカキコを見ました。でも、うちのユミには触れているのはなかったな・・・。って、残念ながらレストラン名は出してもらえなかったしな。ちなみに、「のんべー」と言われているパラオ人が飲んでいた店はうちの店でした、ありがとうございます。
ユミは並み居るライバルを抑え、オーディションに合格し?番組に登場させていただきました。パラオ人ですがユミコは本名です。いつもはウェイトレスですが、なんかすごい料理を何品か作ってましたね^^;。君も料理ができたんかい・・・、と少し感心しました。でも、デザートのフルーツのクリーム和えにはびっくらこくほどのホイップクリームを入れてたな。シャコガイのクラムチャウダーはスタジオで中尾さん達が試食したのと、ユミの作ったのは、なんか少し色が違っていたっけな・・・。
「この人が奥様です。」と、後ろ向きから振り返って顔が出るまでのユミの背中の筋肉の盛り上がりは、立派だった。彼女はアーチェリーの選手でもあるので、先日もパラオでの大会に出ていました。結果、メダルには届かなかったが、仕事の合間をぬって練習に励んでいた努力は偉いぞ。
ここ数年は、日本のテレビ番組で結構パラオを取り上げてくれています。お客様からも「この前、テレビでパラオ特集を見た。」とたまにうかがいます。私がパラオに来た頃は、日本の知り合いの殆どから「パラオってどこ?」と聞かれましたっけ。私自身についてもパラオでなく、パリに移住すると思っていた人もいました。が、最近ではお陰さまでパラオの知名度もあがってきたようで、何よりの観光促進につながるとありがたいことです。
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| 2006年6月1日(土) |
| アップはまだだ。 |
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HPをつくろっと!と決心してから早1ヶ月が過ぎた。東京のプロバイダーさんにのっけてもらいうんだー^^と思って、せこせこ日々レイアウトにいそしんでいるのですが、いまだにアップならず。東京とのやり取りでファイルが一部破損してしまったりで、なかなか作業がすすみません。で、日記ばかりがたまっていくよ。。。パラオは本屋もないし、情報も日本のように簡単に手に入らないので何かと大変なのです。初心者の私としてはWEBデザインの本なども見てみたいのですが。
ネット上の他のHPやブログを参考にするぺし!と思っても、パラオの回線はADSLでないので、繋がるのに大変時間がかかります。で、いつも満足な結果が得られる前に挫折。つないでいる分だけ、お金もかかりますしね・・・。(最近では早めの回線でつなぎっぱなしOKというのも登場しましたが、使用料はそれなりです。その割にはサーバーの故障が多いようで不便。会社ではこちらを使っていますが。)
なんて、書いているうちに急に停電。今日は祝日だから誰かが昼から酔っ払って電柱に車でもぶつけたのかな?ということで、いったんセーブして電源切ります。
今日は早めに20分くらいして電気が復旧しました。ネットをつなぎなおして、大人でバイオリンを趣味で弾かれている方々のサイトをいくつか覗かせてもらいました。皆さん、結構すごい曲をを練習されているんですね・・・。というのが、感想です。先生の指導法もあるのでしょうが、ご自身の「これをやりたい!」という熱意もあるのでしょう。それが何よりのやる気を湧かせるのだと思います。特に大人になってから楽器を始める方は、「この曲を弾きたい。」という気持がきっかけになる方は多いのでは。でも、私の先生には「メンコンをやりたい。」なんて、とても怖くていえません。
私はパラオで一人ぼっちで練習しているので、、練習のモーチベーションの持続が難しいです。日本でしたら、近所の友人と一緒に練習したり、アマオケに入ったり、コンサートに行ったり、音楽活動ができるので、益々やる気も興味も湧いてくると思います。が、ここパラオではそういった活動はできやしません。一人でコンサートする腕も度胸もないですし。毎日、教本のバロックを弾いていると、たまに違った曲をやってみて気分転換もしたくなるのは事実です。かと言って、すぐに楽譜が手に入りはしません。ネットの本屋さんに頼んでも、届くまで長期間を要し、郵送費は本代より高くなることも。先生いわく、やはり学習のためになるのはバッハなどのバロックだそうですので、やはり、これらをある程度きっちりと弾けるようになりたいです。
今、夫が日本に出張中なので、これから2週間以上も家に一人ぼっちです。たまに、ミー子とミャー子を連れて帰って一緒に寝て一緒に出勤したりしてます。夫がいない間に、練習は結構できています。パラオの良いところは、日本のように住宅が密集してないことですね^^;。これだけは楽器を練習する者にとっては、ありがたいです。お陰で夜の11時になっても消音器をつけずに、でかい音出して練習できますから。日本の実家では考えられません。あと、気候のせいでしょうか、弾きはじめてすぐに手がじんわり汗ばんできます。日本だと乾燥しているのでなかなか手が温まらず、汗をかきません。するとビブラードをかけにくいので、いつも困ってしまいます。
で、今日はネット上で大人のバイオリン学習者の人達より、刺激を受けて、わしもがんばらねば・・・と思ったわけです。
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| 2006年6月5日(月) |
| ミー子改名 |
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昼過ぎにミー子を見たら、何かを首の辺りからぶらさげています。誰かが飾りでもつけたのかな?と思い抱き上げてみると、なんと釣り針が唇にひっかかっていたのです。どっかで魚を見つけて食べたけど、付いていた釣り針に気づかなかったのでしょう。インパックのリエさんにも協力してもらって引き抜こうとしましたが、返しがあるので抜けず、ミー子も痛がって暴れます。こんなときに犬猫病院があればいいのですが・・・。まず、ドルフィンパシフィックのいるかの先生にご相談しました。そうしましたら、ルーマニア人の獣医の先生がクリニックをやっているというので、ご紹介いただきました。そういえば、何ヶ月か前の新聞にそんなことがのっていたような・・・。
ミー子を車に乗せて、クリニックに連れて行きました。結果、麻酔をして唇を少し切開して、針を取っていただきました。先生から「飲み込んでなくてよかった、万が一飲み込んでいたら、お腹を開いて針をさがさないといけなかった。でも、ここはレントゲンもないから大変なことになっていたよ。」と言われ、不幸中の幸いでした。
「ミー子ともう一匹のミャー子に避妊手術をさせたいのですが、」と相談したところ、「君、君、この子は男の子だよ。これを見なさい」とおっしゃられました。まだ小さいのでよくわからなかったのですが、(猫を身近に触れるのは初めての経験だったので)確かにかわいいタ○タ○が二つついているではあーりませんか。ずっと、女の子と思っていたので、名前もミー子でしたが、これは変名しないといけないでしょうか。リエさんは「オサムはどうですか?男らしくていいですよ。」と言っていましたけど、なぜオサム・・・。そういえば、ベーカリーのミナエちゃんが、ミー子とミャー子の周りに雄猫がいたらしく、しかし、ミャー子にばかりチョッカイを出していた、と以前言ってました。そのときは、二匹とも女の子なのにおかしいな、と思っていたのですが、そっか、ミー子はそもそも男の子だったのです。だから、ミャー子よりお転婆で体も一回り大きかったのかも。
魚の身のついた釣針をその辺に放っておくとは、多分毎夜の夜釣り関係の人達だと思いますが、これからはミー太郎(ミー子改め)達が怪我をしないように、よく見張っていないといけません。たまたま、その日の朝は出勤しなかったので、釣針が落ちているのに気づいてあげられなくてごめんね。
そのあと、ミー太郎は私を見ると麻酔が抜け切らないフラフラな体で逃げ惑い、今もどっかに隠れているようです。薬を飲ませないといけないのですが。私に連れられて病院にいったら、痛い思いをしたので、「私=痛い 」イメージを持ってしまったのかもしれません。誤解だよー。
あと、そのルーマニア人の先生は超ハンサムさんでした。笑顔が素敵で、田舎から出てきたばっかりのベッカムみたいでした。こ〜んな人がパラオにいたなんて。ミー太郎の負傷のお陰で良い目の保養になりました^^。

手術?から数日後のミー太郎です。朝から芝生の上で元気に遊んでいます。この子達のためにも、ゴミや煙草のポイ捨てはやめてほしいものです。こんなに美形のせいか、すっかり女の子と思ってました。って、親馬鹿ですいません^^;。
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| 2006年6月10日(土) |
| 猫達への責任 |
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ただ今、夫が日本へ出張中で、帰りは26日の予定とのこと。1ヶ月にも渡る出張です。家に帰っても一人だし、店で飲んでは、猫達を家につれて帰って遊んでます。ミー太郎はすぐにベッドにあがってきて、のどをごろごろ(というか、ブーブー聞こえる)言わせて体をすりよせてきます。暑いよー。ミャー子はミー太郎がいると、遠慮しているのか一人でお気に入りの椅子の上でくつろいでいます。が、ミー太郎はお寝坊さんなので、ミー太郎がまだ寝ている間はミャー子は私にずっとついて来て、体をすりすりしてきます。こんな話を日本の友人にメールで送ったら「私はミャー子タイプの人間なので、ミャー子の気持がよくわかる。もっとミャー子の写真を送っておくれ。」とのことでした。
今日、彼らの前でバイオリンを練習し出したら、今まで眠そうにしていたのを急に目をカッ!と開いて、ミー太郎は箱の奥底へ、ミャー子は2階へ逃げてしまいました。ミャー子は音に合わせて歌っているのか?はたまた「やめてけろー。」と泣き叫んでいるのか、ミャーミャー泣き止みません。一旦、練習を休止したらおそるおそる帰ってきましたが、また弾き始めると一目散に二匹とも2階へ逃げてしまいました・・・。
その後、ミー太郎とミャー子を遊ばせていたら、ミー太郎がミャー子にかみついて、後ろから乗っかるような素振りをみせます。もしかして?と心配になり、インターネットで猫のさかりについて調べました。そうしたら、雄猫の場合は性成熟するまで、9ヶ月から11ヶ月、初めてのサカリを迎える6〜8ヶ月(時期については獣医によって差があり)には、去勢手術をしたほうがよい・・・。と、書かれていました。どう考えてもミー太郎達はまだ生後3ヶ月ぐらいですので、まだサカリが付くには数ヶ月あります。
彼らは兄と妹(もしかすると姉と弟?)なので、時期を見計らって、例の素敵な獣医の先生に避妊手術をお願いするつもりでいました。先生は来週に連れて来なさい、とおっしゃっていましたが、日本のネット情報では、避妊手術に関しては体重が2キロ以上、生後6ヶ月たっていることを条件としている獣医さんが殆どです。が、アメリカでは生後7週間ぐらいでも避妊手術を行うところもあるらしく、例のルーマニア人の先生もそうおっしゃったのかもしれません。が、彼らの健康のため、もう数ヶ月手術は待とうと思います。
彼らは私が4月に日本に帰っている間に、パラオ人の知り合いが連れてきたらしいです。それから、インパックに住み着いています。私のにわか知識によると、放っておけば、1年に2回から4回のサカリがあり、その度に100%の確立で何匹も子供を生み、そのまた子供がサカリがつき、何匹も生まれ・・・と膨大な数の猫が誕生してしまいます。とても全部は面倒見切れず、猫屋敷になってしまいます。そんな子達は、パラオにも保健所ができましたので、捕獲の対象となり処分されてしまいます。そういった可哀想な命を増やさないために、避妊手術をしたほうがよいと思いました。また、サカリ中はストレスがたまるので、手術をした方がその後の猫の健康にもよいというようなことも書いてありました。。
いずれにしても、時期を見計らって手術を受けさせ、手術のあとは、しっかり休ませ面倒を見なければいけませんし。彼らがインパックの子になってしまった以上、小さな2つの命をこれからも責任を持って見守っていかないといけません。と、大変な責任を負ってしまった・・・と、実感したのです。
日本の獣医さんによっては、雌猫は一回目のサカリを終えた後に手術をするのがよい、と書かれている方もいます。これをご覧になった愛猫家の方々、避妊・去勢手術の時期や注意点などについて、是非掲示板までアドバイスいただけたら幸いです。お願い申し上げます。
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| 2006年6月12日(火) |
| 待ち伏せはやめてつかーさい。 |
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こんな商売をしていると、パラオ人の常連さんでたまに勘違いをされる方がいて困ります。もう、あちきは年ですし、今まで男に超モテた人生でもなく、美人でもナイスバディーでもないことは充分承知しています。(だから、こんなことを書いても自分がもてると錯覚しているわけではありません。)お客さんの中には何を勘違いしてか、家まで着いてきちゃったり、店の前で待っていたりする輩(パラオ人)がいるので不気味です。 こんな狭い国ですから、誰がどこに住んでいるか、どの車に乗っているかバレバレです。先日はなんかついてくる車がいるなと思ったら、やっぱり、店のお客さんでした。よく来てくれるので、当然お店では良い対応をしていますが、それは個人的感情とは全く関係ないので、(とても私の趣味とは程遠いし・・・)何かを期待して家まで追いかけてくるのは勘弁してほしいです。しつこく何回も電話かけてくるし。それも朝も早から夜中までです。こんな年増でなくカラオケ(現地のキャバクラのことをこう呼びます)の若いぴちぴちギャルを狙ったらどうですかね。もちろん、家まで来られたって私はそんなつもりは毛頭ないので(タイプだったら別だけど^^)、いい加減あきれて冷たい対応しました。そういうときは日本語です。今、夫が日本に長らく帰国中なのでますます気持悪いです。というか、元々追われるのが嫌な性格なので待ち伏せとかしつこく電話をされた次点でシュルシュルと気分がなえてきます。どっちかというとこっちが仕掛けたいハンターですからね。
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| 2006年6月13日(火) |
| 優雅なランチとは行かなかったようで・・・。 |
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先日、ばったりと日本人のお友達にストアで会いましたので、「働きずめな私達のこと、たまにはプチ豪華ランチでもしませんか。」と約束したのでした。で、今日は少しお目かしをして、地元では高価な部類のホテルのランチに行ってきました。天気もよし、窓際の席で景色を眺めながら、おいしいものを食べたいな、たまにはそのくらいの贅沢も許してもらいましょうと。
が、味もサービスもやっぱり期待していたものとは遠く・・・。パラオで優雅なひとときというのは無理なのですかね。期待する方がアホですか。昨日からウキウキしていた分、残念。
ちょっと景気の悪い話が2日続いたので、閑話休題。今日の夜に事務所で仕事をしていましたら、私の携帯がなりました。番号は見慣れぬ長い番号。取ってみると今中国に出張中の夫からで非常に音声が悪く聞き取りにくい。どうにか、聞き取ったところによると、「今上海にいるが素敵なチャイナドレスがあるので、サイズを教えろ、」ということでした。多少サバを読んで3サイズを怒鳴りました。ついでに色は黒地に金か銀の刺繍がいい、と伝えたかったのですが、音声が悪いので「もう、分った、切るよ。」と切られてしまいました。ちゃんとサイズを聞き取ったか?

最近、写真の掲載少ないので苦し紛れにインパックのお猿・もん吉くんの2年前の写真を載せてみました。こんなに小さかったんですね。もん吉君はアンガウル島の出身です。ドイツ時代にドイツ人が持ち込んだものが野生化しました。今は自分専用のデジカメがないので、いつも会社のデジカメを借りて写真を撮っています。日本にいる夫にお願いをしたので、この日記専用のデジカメを間もなくゲットできるかも。
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| 2006年6月16日(金) |
| 今年のパラオ人学生研修生 |
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ここ数年のことでしょうか。夏休み中の高校生が各企業に派遣され、わずかなお小遣いをもらいながら仕事を通じて学習するというプログラムが国で行われています。パラオの夏休みはアメリカと同様大変長く、5月末から8月末まで休みという約3ヶ月の夏休みなのです。お小遣いは国が支給しますが、夏休み前になると、現地の教育省から各企業へ受け入れの申し入れがあります。インパックでは去年は2人の受け入れでしたが、今年は3人の男子高校生がやってきました。男子学生というより、まだ子供に見えます。ことに、日本の高校生と比べるてしまうと。一人の男の子は事務所のお手伝いの日に、机で漫画を描いていましたし、声変わりもまだのようです^^;。
去年来た2人のうちの1人ウィンフィールド君(ウィンちゃん)は、プログラムが終わってからも、土日は家にいても暇ということでたまに手伝いに来ていました。彼は初めのうち未成年なのに煙草をすっていて、随分トッポイ子(今では死語ですが、この表現がぴったり)が来たもんだと思われていましたが、実はとても良い子でした。一番感心したのは、去年の夏にお猿の一匹が亡くなったとき、「お墓に一緒にいれましょう。」と、どこからかたくさんのきれいな花を集めてきてくれました。見かけによらず、優しい子だったのです。また、ツアーに一緒に行ってもよく気がきくし、ミルキーウェイで泥を塗りたくって真っ白になって、お客様にうけていました。
今年の3人もウィンちゃんのように活躍してくれることを期待しています。まだ、働きはじめて数日なので、順番にツアーに同行してもらっています。が、パラオ人従業員によると、この男の子達は、ジェリーフィッシュレイクに行って、クラゲを怖がり、スノーケルスポットでは、ナポレオンにびっくりして水中で逃げ回ったそうです^^;。また、1人の子は船酔いまでしたそうで・・・。随分と「新人類」がやってきたようです。
今日はさっそく3人のうちの1人は無断欠勤。他の1人は勤務時間中に会社の外でガールフレンドとおしゃべりしているし。君達、いちおう働きにきてるんだからねー。まあ、会社に若い子がいると、なんとなく華やいでいいですね^^。

今年の研修生クレーマー君(左)とデアリー君(中)と
教育係のランス(右)
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| 2006年6月18日(日) |
| マンダラスパ行ってきました。 |
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ここ1ヶ月くらい丸一日休んだ日がありません。閑散期は閑散期なのですが、その分夫は長期出張に出かけ、従業員も交代でバケーションを取ってもらってますので、残っている者たちは何かと休めなかったりします。通常は日曜日は休むことにしていますが、そうもいかず、3時間だけ出勤して、夜のレストランの営業はまかせて帰ってきました。
夫は今回の出張中に数日中国に行きました。本当は酒池肉林の旅と行きたいところでしょうが、実姉が同行したため、それも無理だったでしょう^^。が、おいしい中国料理をたらふく食べたに違いありません。私はというと、1人だけだとご飯を作るのが面倒くさく、昼はうどんか雑炊で済ませていました。が、最近はそれも億劫になり、近所のドーナ屋でスープとミニバーガーをテイクアウトしたりしています。そしたら、多少増量してしまったような・・・。
さて、せっかくの休みなので、どうしようかなと。昨日はまたしても飲みすぎでしまったので、他の店に酒を飲みに行く気にもならず。家の掃除と洗濯をしてから肩もこっているしだし、マッサージに行こうかな、と思ってまだ行ったことがないマンダラスパに行ってきました。
まず、店内に入ってびっくり。とてもパラオとは思えない落ち着いた豪華さです。去年行った台湾のラルーホテルのスパをこじんまりした感じです。コースは色々ありましたが、なんと言っても高額なので^^;、お得そうなスチームバスとお茶&クッキーつきのニルバナマッサージコースにしました。マッサージは個室に案内され、外は真っ暗ですが、目の前は海のはずです。個室にスチームバス、トイレ、シャワーが完備してあり、調度品もセンスがいいです。部屋の大きさはホテルの一室くらいあります。どうせ、マッサージ中は目を閉じているので、部屋や雰囲気の豪華さは関係ないかもしれません。でも、街中の1時間20ドルのマッサージパーラーと違って、道路を行きかう車の音や従業員や客のおしゃべり、室外機一体のエアコンのガーガーいう音も聞こえません。聞こえてくるのはリラックスさせてくれるバリの音楽です。コースの前に、アロマオイルの入ったフットバスで、足を洗ってくれます。塩でスクラブ、そのあと軽石でこすってくれました。うひょうひょしそうになりましたが。充分贅沢な雰囲気は満喫できますし、インドネシア人のお姉さん達は美人ぞろいで態度も大変好感持てるものでした。私にとっては頻繁に行けるお値段のところではありませんが、お客様に聞かれることもあるので、何事も経験さ・・・と納得しましょう。(パラオにマンダラスパは2件あります。私が今日行ったのはマラカル地区のものです)
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| 2006年6月21日(水) |
| 風呂と化粧品 |
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昨日まで、以前パラオに住んでいた友人が仕事で来ていました。友人は現在、東京で働きながら週に1回シナリオ学校に通っているとのこと。仕事をしながら趣味の小説やシナリオ作成に打ち込んでいるようです。クラスのあとは、反省会をかねた飲み会に突入だそうです。学校は私達の母校の近くで、付近の居酒屋で毎回盛り上がっているとのこと。私らの時代には、あの辺りに居酒屋なんてありゃしませんでしたが、今は○民まであるんだそう。随分表参道も変わったもんだ。いずれにしろ、東京は刺激があって人生の糧になることもたくさんあって羨ましいです。「これがやりたい!」というのがあれば、実現が難しくはありません。やっぱり東京はいいです。
さて、今日は朝からずっと働いていたので夜は早めに切り上げて帰りました。家まで車を運転しながら、久しぶりにバスタブにお湯をためて、お風呂に入ろっと!と決めました。家に帰るとさっさとバイオリンの練習をすまし(何分疲れているので身が入りません)、湯船にお湯をためます。日本のような追い炊き機能はないので、早く入らないとお湯が冷めていく一方です。ま、その点は南国なので覚めてもぶるぶる震えることはないですが。日本に帰ると入浴剤や温泉の素などを買ってきます。今日は薬用ゆずの香りにしました。湯船で寝っころがりながら、化粧を落とし、温感パック剤でマッサージ。
風呂からあがるとたまの入念なお手入れタイムです。それぞれのパックを同時進行します。まずはTゾーン部分に毛穴の汚れをとかすジェルを塗り、その後は軽くふき取り、シール状の鼻の角栓取りを鼻にはります。これは待つこと10分。目元には栄養クリームを塗った後、シワに効くというシートを貼ります。これは15分。鼻のシートをはがして、今日の収穫を確認。(たくさん角栓が取れていると嬉しいオタッキーな一瞬)冷やした化粧水で鼻をパッティングしてから、顔全体に美白パックです。これはパラオのミルキーウェイの泥を原料としたパック剤を使っています。5分後洗い流すと同時に目のパックも終わりです。次は、コットンに化粧水と水を含ませ、顔全体に水分補給パックします。これは3分間。そう、あの佐伯チズ大先生で有名になったやり方です。日本に帰ったときに、4枚に裂けるコットンをゲットしました。この後は通常のお手入れです。目の周りはアイクリーム。シミには美白クリームか集中スティック。そして、乳液かクリームを手のひらで暖めて肌に蓋をします。これも佐伯大先生が推奨するやり方です。最後に、上戸彩が宣伝している鼻の毛穴手入れのクリームを鼻に。頬には頬の毛穴手入れのクリーム。全部のお手入れ時間はクレンジングを除いてここまで30分です。ストップ・ザ・しみ&小じわ大作戦なのです。
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| 2006年6月28日(水) |
| いつまでもお元気でいてください |
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夫が日本からのお土産をいくつか買ってきましたので、いつもお世話になっている方々を訪問することにしました。店は今日も忙しくなさそうだし(とほほ…)そんなときには知合いの経営する他のお店に行くのは、大切なお付き合いでもあります。
まずは、TOTOTOへ。こちらのオーナーのマサさんは、早くに飲み始め、早めに切り上げるので、私たちも18時半に出撃しました。マサさんは同じ建物内に魚屋も経営していらっしゃるので、ここでのお魚はまさに産地直送です。 いつも、明るくお元気なお人柄なので、こちらまで元気が出てきます。TOTOTOでは、フルーツのスムージーが種類豊富でおいしく、いつもスイカ&ベリーを頼みます。
気分は盛り上がり、そのままご一緒に美登寿司へ。こちらのママさんも明るく元気一杯で、いつもおきれいです。いつも食べるのは卵のにぎりです。東京に帰るとたいてい寿司屋へ行きますが、ここの卵ほどおいしい玉子焼きには滅多にお目にかかれません。個人的には茶碗蒸しも大好きです。またパラオにあってこれだけの寿司ネタを常時揃えるのはさぞかし大変なことと思います。
そのあと、マサさんと夫はどこかへ消えてしまい、私は美登のママさんとお父さんに隣のラッキー・キムさんが経営するお店へ連れていっていただきました。こちらは韓国焼肉のお店ですが、夜はカラオケがあるので、飲んで歌えます。
マサさんにしろ、美登のママさん&お父さんにしろ、パラオ歴はなっがーいので、色々ご経験をされています。昔のパラオの話を伺うのも興味深いですが、何しろ皆さん、お酒が強く、マージャンが強く、歌がうまく、元気でパワー全開なので、こちらも楽しくなります。私も見習いたいです。
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TOTOTOのオーナー・マサさんと店員
さん。新旧イケメン対決ですかね。
演歌が大好きで、手前共の店には
「浪花節が合う」とのご意見。
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この日の締めはうちの店にも来ていた
だきました。ママさんも猫を飼って
いらっしゃり、まだ1歳未満ですが
体重は5キロを超えているそうです。 |
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| 2006年7月2日(日) |
| 台風3号 |
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おとといの晩から、ひどい雨・風です。昨日は朝起きてみると、庭のバナナの木は倒れているし、会社の周りの木は折れているし、レストランのフロアは満潮時の嵐でびちょびちょ、おまけにごみや藻屑まで上がっています。昨日は、ツアーは全てキャンセル。ダイビングもポイントにはいけず、ビーチダイブをされたショップもあったようです。夜は、とてもレストランを開けられる状態ではなく臨時休業。外のレストランは天候の影響を受けるので参ります。
本日はそろそろ、台風がパラオから去ったかと思いきや、夕方、夜半と急に突風、雨・風・・・。NHKを見ればこれは台風3号と名がついているようで。
さて、今日はパラオのマージャン好きが集まり、第五回日本人麻雀大会が開かれました。私は、とても参戦する腕はないので、馬券だけ買いました。今回の参加者は20人。それぞれ馬のような名前がつけられ、馬枠に入ります。今回の優勝は富士レストランのオーナー。さすがです。我が夫は二位でした。あまり点差がなかったとのことで、なかなか健闘したようです。試合前にコンピューターゲームで勘を取り戻していたのが良かったですかね?
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インパックの横のぶっとい木が
折れてしまいました。建物側
に倒れなくてよかったです。

おまけに家の前のバナナの木も
根こそぎ倒れてました。パラオ
では低気圧を「バナナストーム」
というけど今回は台風だに。左下は
わかりにくいけどバナナの実です。
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| 2006年7月5日(水) |
| レストラン小松? |
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今晩はアイメリーク州で果樹園を営まれている小松さんご夫妻のお宅に、インパックのスタッフ3名と私目がお招きを受けました。私達夫婦は何回か伺ったことがありますが、他の二人のスタッフは住居部分への立ち入りは初めてということで(お店部分にはツアーの途中で寄っていますが)、入った途端、嬌声があがります。
素敵な家具がおしゃれに配置されたリビング。パラオでこんな素敵なカウンターバーがあるお家は他にないですからね。何より私達の目を引いたのは、そのカウンターに並んだおいしそうなご馳走の数々。奥様お手製のお寿司、新鮮なまぐろに五色えびの刺身、日本からのカニ味噌、明石の蛸が並びます。ご主人お手製のえびの出汁のみそ汁もとてもおいしかったです。その後、味噌煮込みおでんに舌鼓。スキヤキもご用意してくださっていたのですが、さすがにお腹のスペースがなくなり残念!
男性人は見慣れぬご馳走にしばし、無言。が、お腹いっぱいになった後は、ビールに続き、ウィスキーにワインとすすみ、話も弾みます。
窓の外はお手入れされたお庭。パパイヤが見えます。小松邸に伺う度に我家の雑然さを反省・・・。
本日は本当にご馳走になりました。
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素敵なカウンターにお料理が並びます。
ここがパラオとは思えません。 |

小松ママのおしゃくでいただきまーす。
テーブルセッティングも参考になります。 |
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| 2006年7月6日(金) |
| こんな思いをしてまで。 |
私は嘘で脚色してまで「パラオはいいところだよ〜。」なんて言うつもりはありません。確かに自然は素晴らしいです。こんなにきれいな海やビーチは私の知る限りどこにもありません。が、今日、改めてこの国に住むのがほとほと嫌になりました。何があったかは今書く気にはなれません。現地の人の中には命の重さを感じない人、他人(特に外国人)の所有物はどうでもいい(傷つける、奪ってもよい)と思っている人がいるようです。理性に訴えかけることができません。もちろん、日本本国にも悪い人はいることは充分承知です。が、今まで経験してきた数々の理不尽なこと、悔しいこと、悲しいこと、憤ること等が、日本にいた頃は自分の周りではそんなに起こりませんでした。日本にいた頃の私が甘ちゃんだったのでしょうか?私に限ったことではありません。夢を抱いてパラオの発展を願ってこの国にやって来たのに、大金を失い帰った人を何人も見てきました。
なんで、日本政府はこの国に多大なるODAを与えているのか?そのお金は日本国民から来ているのに、今までたくさんの日本人が散々な思いをしている・・・・。日本だけでなく、米国や台湾からも多大な援助を受けている国民が、なぜ住み込みの家政婦を雇えるのでしょうか?
初めて観光客としてパラオに来た10年前。現地でお世話になった旅行社のスタッフさんの言葉を今でも覚えています。今となってはその会社も彼もとっくにパラオから去りました。彼は「パラオは大好きだけど、パラオ人は嫌いです。」と観光客であった私と友人に言いましたっけ。当時、その言葉の意味をわかりかねました。当時添乗員だった私達にとっては、添乗員として訪れた国の人々に良い印象を持っていれば当然その国も好きだったからです。
つい先週、13歳の現地の少年がバングラデッシュ人の警備員をナイフで殺害するという事件が起こりました。(こういったパラオとの正式な国交がない国民がひどい目にあったときは、一体どのように対応しているのでしょうか?)日本では犯罪の低年齢化が問題になっています。ここでも同じです。が、日本とパラオの人口を比べてみてください。数年前、パラオ人男性がミッションスクール(教育面、社会活動面でも貢献度が高い)の校長先生夫妻と息子さんを殺害、娘さんをレイプして末がけに突き落とすという凄惨な事件が起こりました。先日、新聞の投書を見てびっくりしたことには、なんとこの犯人は、刑務所を許可の上抜け出して釣りに出かけたそうです。
「文句があるなら、お前は帰れ。」と言われるかもしれません。はい、そうですね。自分で望んでこの国に来たわけではありませんが、今はここが生活の場であることは疑う余地もありません。よって、与えられた環境で出来る限り頑張って生きていこうと思って何年も住んでいます。こちらに住む日本人の皆さんがパラオの発展と日本との友好関係を望んでいます。外国企業はより高い税金も払っています。私達が一体彼らになんか悪いことをしたでしょうか?と言うと、「日本人は自分達の国の戦争でパラオの国土を荒らしたから。」と言われるのが関の山です。そのお返しを今されているのでしょうか?(まるでどっかの国の言い分ではありませぬか。)が、今「パラオを汚すな!きれいにしましょう!」と声高に叫んでいるのは在住外国人が殆どでは?現地の人々は公共の場で赤い唾液(噛み煙草のため)を吐いたり、ビールの空き缶や吸殻を平気で捨てます。その赤いシミを落とし、ゴミを拾って公共のゴミ箱に捨てるのは私達外国人です。人んちの敷地内でそういうことを平気でするのですから、掃除せざるを得ないですね。
今まで惜しまれながらパラオを去っていた知り合いや従業員達。年内には更にパラオの旅行業やダイビング業の発展に尽くした日本人の若者達何人かが帰国してしまう予定です。残念ですしが、彼らにとってはそれが正解だと思います。私自身、こんな思いまでして何でここにいるのだろうか?一体このパラオでの8年間の滞在で何をしてきたのだろうか?何か学んだことはあるのだろうか?今後もここで学べることはあるのだろうか?今までやりたいことも勉強したいこともあった、それはパラオにあっては所詮無理なことであった。パラオでの生活は「あきらめを知ること」だったと言えよう。が、こんな嫌な思いをしてまで、我慢する価値があったのか???必要な忍耐と、しなくてもよい余計な忍耐が世の中にはあるようだ。「しなくてもよい不必要な忍耐」をして、何か得られるあるのだろうか?失ってきたものは大きいけれど。
こんなことは書きたくなかったので、そのうち削除してしまうかもしれません。が、事実は事実です。隠しようがありません。 |
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| 2006年7月9日(日) |
| 友人の告別式 |
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台湾人の知り合いがおととい亡くなり、今朝はパラオで彼女の告別式が行われ参列してきました。(御身内での本葬は台湾で)彼女は、こちらでホテルを営む台湾人の友人のお姉さんで、彼女自身も同ホテルがオープンした際、マネージャーとして同ホテルで働いていた経験があります。短い闘病生活の末、先日台湾の病院で息を引き取られました。享年32歳。
彼女は今年3月にパラオに遊びにいらした際、うちのレストランへも、弟さんである現ホテルのマネージャーや従業員の方達と見えてくれました。明るく上品で、日本語が上手でキティちゃんの大好きな女性でした。聞けばパラオでの勤務の後、日本に留学し、老人ホームの手伝いもなさっていたそうです。彼女のイメージと言えば、「いつもニコニコ笑っている人。」でした。が、そのとき既に癌におかされ、余命宣告も受けていたのです。それなのに、周りを気遣い明るく振舞っていた彼女には感服しました。一時は抗癌剤治療で髪の毛が抜けていた時期もあったそうです。確かに抗癌剤の副作用というのはきついと思います。私自身、母の闘病生活(同じ部位の癌でした)は見るに耐えませんでした。それより、余命を知った上で、東洋医学で病状の回復を目指しながらも、残された人生を生活の質(いわゆるQOL=Quality
of Life)を高く保ちながら、日々懸命に生きていく方を選ばれたのだと思います。経験なクリスチャンであった彼女こその力強い選択だったと感銘します。(当然、私と夫はお姉さんを日本の癌センターで診てもらうよう、強く弟を説得したこともありましたが)
彼女の本葬は明日、台湾で行われるそうです。今日のパラオでの告別式の招待状は、彼女が2年間マネージャーを勤めたホテルから来ました。彼女の死に際し、パラオからもお祈りを捧げたい、ということで、式典を催したのでしょう。この従業員の皆さんのお優しい心遣いにも感動しますが、何よりそれは故人のお人柄ゆえのことでしょう。また、彼女が現地で通っていた教会の仲間と思しき中国系の人々も多く参列し、賛美歌を歌って彼女を見送りました。
まだ、これからという32歳という若さで、また彼女のような素晴らしい人がこんなに早く天に召されるとは、残念を通り越して「なんでだー!?」と天に抗議したくもなりますが、この娑婆世界を修行の場と考えるならば、彼女のような若くても立派な方はもう修行を終えられたのだ、と思うことにします。
何より、自分の余命を知りながら、また癌の疼痛に耐えながらも、最後まで周りを気遣い笑顔を絶やさなかったという彼女が私達に残してくれた感動を忘れず、心よりご冥福をお祈り致します。7月6日の日記は散々な内容であり、その内容の通りに今の私の気分はかなり落ち込んでいます。が、、パラオにこんな立派な若い女性が数年でもいたという事実に、心が救われた思いです。
また、お姉さんの病状に心をくだきながらも、やはり日々明るく仕事に打ち込んでいた弟君もなんと頑張ったことでしょう。お姉さんの死に目には会えなかったとのことで、さぞかし無念だと思います。台湾から帰ってきたら、お姉さんの思い出話をしながら酒を酌み交わしたいと思います。また、お姉さんが生前愛してやまなかったホテルを影ながら応援していきたいと思います。
合掌。
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| 2006年7月14日(金) |
| 不可思議な遺失物発見。 |
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パラオには郵便配達システムがありませんので、国にたった一軒ある郵便局に設置されたそれぞれの私書箱をたまにのぞきにいかないとなりません。今日、私書箱を開けましたら、数通の手紙と共に、見覚えのある物体が入っていました?あれ???それは数ヶ月前に夫が紛失した鍵でした。イミテーションのルイヴィトンのキーチェーンに家の鍵、会社の鍵、車の鍵等がじゃらじゃらついたかつての夫の鍵の束が当方の私書箱に入っていたのです。誰かが鍵を見つけて警察に届けてくれ、警察が夫が提出しておいた紛失届けの住所(私書箱番号)を元に、私書箱に入れてくれたのかもしれません。(かもしれないというのは、この国の警察機構を考えると、そこまで機能したかは疑問)
数ヶ月前のある晩、夫が酔っ払って1人で中国系の場末のカラオケに行きました。夫によると、途中トイレに立ち、戻ってくると鍵がなくなっていた。酔っ払っていたので、鍵を席に置いていったようです。その日は、車の鍵も鍵束についていたので、歩いて自宅まで帰ってきました。(パラオは酔払い運転OK) 夫によれば「誰かに盗まれた〜。」とのことなのですが、一次会が終わってから、またしても1人でカラオケに行ったのです。夫はよっぱど中国人やフィリピン人ホステスが好きなか、そういうところに行くのがステータスと思っているのか、そのどっちもだと思いますが、安っぽい女に余計な金を使って、鍵までなくして本当にあきれました。次の日、そのカラオケに行って椅子やらテーブルやらをひっくり返して探してもらったようですが、鍵はありませんでした。その後、念のため家と会社の鍵は交換しました。 その後、数ヶ月経ってから、鍵は郵便局の私書箱に届けられるという形で再び夫の手に戻ったわけですが、いくつか疑問が残ります。
疑問その1:私書箱にあった鍵には警察のメモらしいものがついていました。それには、発見場所が「SLC」となっていました。SLCとはパラオ人で盛り上がる野外の生バンドが入るパラオ人バーです。例の場末の中国カラオケとは全く逆方向に位置します。中国カラオケで鍵を拾った(盗んだ?)人がSLCに行き、使い道がないので鍵をポイ捨てしたのでしょう。が、数ヶ月の間、鍵をどうしていたのでしょう。
疑問その2:夫は警察に紛失届けを出していたようですが、その鍵束に名前など書いておりませんでした。警察に届けられた鍵が、なぜ夫のものと確証されたのでしょうか?届出の内容のものと酷似していたとしても、(そこまで細かくはレポートしていないと思いますが)、鍵という性質の問題もあり、保安上の理由で本人を警察に呼び出して確認をさせる必要はなかったのでしょうか?万が一、これが夫の鍵でなく、夫が悪人でこの鍵を使って犯罪を犯すという可能性は思いつかなかったのでしょうか?
いずれにしても、不可思議な遺失物発見でした・・・。パラオらしいですね。
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| 2006年7月17日(月) |
| 一体何のために? |
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今日、夕方インパックのリエさんがトイレに入ったところ、「あれ、?もしかして省エネのために、お客様がいないときは、電球をはずしてるのですか?」と言うので、「ふん??」と思って、トイレをのぞいてみると、二つある女子トイレの電球がなくなっていました^^;。そのほんの20分前に、うちのレストランの従業員が開店前のトイレ掃除を終えています。確認したところ、そのときはちゃんと女子トイレの個室の電灯をともして掃除していたということなので、掃除を終えてリエさんがトイレを使うほんの20分の間に、誰かが電球を取っていったようです。たまたま、普通の電球ではなく省エネタイプのコイル型の、多少値段は高いかもしれませんが、パラオで普通に売っている電球を使っていたところ、まんまと2つなくなっていました。
パラオにいると「なんで、そんなものを?」というものが、なくなったりします。管理が悪いのかもしれませんが、こちらに暮らしていると日本とは違って気をつけないといけないことが多々あります。我家でも靴を洗って外に干しておいたところ、取り込むのが遅くなったらなくなっていました。ベランダのテーブル、椅子もなくなりました。外に置いていたガーデニンググッズや掃除道具もなくなりました。
女子トイレに忍び込んで電球を持ち去った輩ですが、万が一、行為の途中で見つかったらなんと言い訳するのでしょうか?パラオは発展途上国とはいえ、私が雑誌等で見聞する限り、アフリカの諸国等とは違って食べるのにも困るというほどではありません。(というか、住み込みのメイドを雇っている家庭が殆どですから)車だって一家に一台、結構いい車に乗っています。電球2つ盗んだところでどうするのでしょうか?パラオは比較的諸外国と比べれば安全なところとは言われていますし、確かに私がかつて添乗で色々訪れた国々と比べてもそう思います。が、やはり日本ではありませんので、このようなコソ泥は多いのですから、その点は日本からいらしたお客様、新しく働きに移り住まれた方は危機管理が肝要だと思われます。
今年の春に夫の実家のある東北を訪れたところ、あの辺りではいつも家に鍵をかけていないようでした。義理のお姉さんの家にランドリーを借りに行ったのですが、誰も在宅でないのに、鍵はあけっぱなしでした^^;。
気を取り直して、夜はレストランは暇だったので早めに切り上げて、最近場所を移して新装オープンしたレッドルースターカフェに行ってきました。オーナーはパラオ生まれで、長らくおいしい日本食を提供なさっていた元スターライトレストランの禮子ママがやっておられます。WCTCマラカルホテルからWCTCシーサイドホテルに移動になりました。我家からも近くなったので、ママさんのお元気なお顔を拝見にうかがう機会も増えるかと思います。
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| 2006年7月20日(木) |
| もん吉君リターンズ |
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しばらく怪我のため、我家で療養していたお猿のもん吉君が、元の住処であるインパックの小屋に戻ってきました。本当に良くなってくれて良かったです。もん吉君の怪我の原因ですが、パラオ人に空気銃で撃たれたことにより、左目を怪我しました。「もう、パラオに住みたくない。」と7月6日の日記に書いたのはこの事件のことでした。もん吉君は左目を打たれ血を流していたところ、すぐに例のルーマニア人の先生にお願いして見ていただきました。先生はもうお家にご帰宅後だったのですが、病院を開けてくれ、もん吉君を見てくれました。本当にハンサムなだけでなく優しい方です。先生は猿を見るのは初めてとのことだったので、インターネットなどで麻酔の量などを調べて治療に当たってくれました。銃丸は左目を突き抜けたところで止まっていたようですが、レントゲンなどありませんし、日本の獣医のように設備が整っていません。先生より、「このまま弾を抜かないと、弾から菌が感染して命が危ないかもしれない。大事をとって、眼を摘出して弾を取り出したほうがよい。」と言われました。私は心無いパラオ人のために、もん吉君のチャームポイントであるお目目が一つなくなってしまうかと思うと、悔しくて可哀想で、先生の前で大泣きしました。が、先生は「命が助かるんだから、大丈夫だ!」とおっしゃりました。
が、結果、先生の麻酔の量が多すぎたのか、その後もん吉君は昏睡状態に。先生いわく「呼吸が弱くなり口からの吸入の麻酔が吸えないので、今日はこのまま家で様子をみてくれ。4,5日経って、経過次第で手術をするか決めよう。万が一、うみが出たら手術をしたほうがいい。」と言われました。その日、もん吉君は7,8時間昏睡状態でしたが、(先生は2,3時間で目が覚めると言っていましたが)目覚めると赤ちゃんの頃のように私にしがみついて離れませんので、次の日は仕事を休んでずっと一緒にいました。弱った体で、私の腕の毛づくろいをしようとする健気な姿に、また涙が出てきて、「こんな小さな弱い子にひどいことをするもんだ。」とつくづく思いました。その後は1日に2回、抗生物質を与え(嫌がるので飲ませるのに毎回苦労しました)次第に食欲も出てきて(当初はオレンジジュースしか飲まなかったので、おかゆやスープを作ってみたりと色々やりました)、みるみる回復していきました。先生との約束の日に連れて行くと先生もびっくりするほどの回復力でした。「すごい良くなったね。手術は必要ないよ。」とのことで、それから1週間家にいましたが、だいぶ暴れん坊に戻ってきたので、今日からもん吉君は会社に出勤しました。先生の麻酔の量が多すぎたせいか手術ができず、またその後も化膿しなかったので、もん吉君のかわいいお目目が失われなくて良かったです。結局、銃丸は取り出せませんでしたが、今後ももん吉君の経過を見守っていきたいと思います。日本人の動物を愛護する気持を一部の(であると思いたいです)心無い人達にわかってほしいものです。もん吉君を助けてくれた先生と天に本当に感謝しています。「掃き溜めに鶴」と言う言葉はこの先生のためにあるような気がします。
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| 2006年7月22日(水) |
| 地元でうろうろ |
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今日からしばらく管理人の「日本奇行」じゃなかった、「日本紀行」の始まりです。忙しい時期で多少の罪悪感を持っていますが、(汗汗)夫君が例の如く日本へ3週間ほど出張の予定なので、前半だけ私も連れて行ってもらうことにしました。他に片付ける用事もあります。 成田についてみると結構涼しいです。NHKでは猛暑とか35度とか言ってたのにな。まずは、夫君を伴い私の船橋市の実家へ直行です。パラオからは殆ど徹夜の移動なので、成田から近いところに家があって本当によかったっす。日本行きのスーツケースは軽いので、スーツケース宅配は利用せず、京成津田沼まで弟が迎えに来てくれました。ちょうどお昼どきなので、まずは昼食です。二人とも食べたいのは「そば!」で、いつも日本に帰ってまず食べたい味です。(私は添乗員の頃からそうでした)パラオからは殆ど徹夜の移動なので、成田から近いところに家があって本当によかったっす。
家に着くと風呂に入って、夫君は居間でバタンキュー、あちきは埃のたまったわしらの居候の間(というか、あちきの部屋)を掃除。夕方ノソノソ起きて二人で行きつけの津田沼の美容院へ。このぼさぼさ頭では日本では歩き回れないので、日本に帰ったときに真っ先にする恒例行事です。津田沼は渋谷や新宿みたいにごみごみしていないが、デパートもあるし何がどこにあるか見やすいし、何でも揃うのでいいところだー。生まれ育ったところなので、やっぱりここが一番です!
さて、私は旧知の木村さんを(こんどの美容院のパリ研修では引率役ですって)、夫君は私とおそらく干支が同じ、ヤング菅野君をご指名です。津田沼の美容院「ゼル」は学生の頃より通っています。ジャニーズ系・菅野青年のことはシャンプーボーイの頃から知っています・・・。私はカラーの間つかの間の休養を取り、目が覚めるとお姉さんがマッサージをしてくれました。これがこの美容院の醍醐味でもあります。が、色白のお姉さんに対し、鏡に映った私がかなりこんがり見える・・・。がーん。パラオでは美白に精を出して、よく「南国なのに全く焼けてませんね♪どうしてですか〜♪」と褒められて?いつもいい気になっていたのですが、とんでもない、充分黒いやんけー!それも、黄味がかっているというか、やっぱり肝臓悪い??パラオでは色白のあちきも日本では面目なしです、とほほ。夫は6月にも日本に帰ったので、あまりスタイルが変わっておらずあっという間に終わり。夫私が終わるまで美容院下の夫のだーい好きな場所で待っていてくれました。(じゃらじゃらうるさい場所です)夫君の髪型はは短めでなかなか似合っています^^。菅野君のお陰?
夕飯は弟もつれて近所探検。歩いていける居酒屋に行きました。パラオと違って飲酒運転はご法度ですからね。行ったところは近所のお馴染みさんばかりが来るような小さなお店で、メニューは20品もなくこれといって変わったものはありませんでしたが、私ら3人は殆ど全てのメニューを試す勢いで、焼酎も1本あけました。明るいママさんとギャルっぽいけど接客態度がしっかりした娘さんがやっている店でした。それから新京成前原駅近くの気になっていたバーに行きました。本当は津田沼へ出てカラオケかフィリピンバー(パラオにフィリピン人ホステスが多いので、わしらにすると妙に落ち着く場所)に行く雰囲気でしたが、タクシーが来ないのであきらめました。が、このバーが結構おしゃれで良かったです。ヒップホップバーとうたっている割にはうるさい系のヒップホップではなく、お香をたいて店の内装もなかなか素敵でした。酒の種類も豊富でした。いずれの店もカウンター席7席くらいに4人がけが3つくらいあり、食事もお酒も出し、酔っ払いの相手もしてくれるのに、最初の居酒屋は2人、次に行ったバーはマスター1人だけと少人数でできるもんです。わが店に置き換えて考えないといけません。それもこれも日本人だからできるのかもしれませんが。ともかく結構、前原だって遊べるじゃんかー!と地元に関心し、地元が一番落ち着くぜ!と実感した一日でした。
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| 2006年7月23日(日) |
| 久しぶりのレッスン♪ |
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最後に日本で大先生のレッスンを受けたのが去年の10月に帰ったときなので、かれこれ9ヶ月もご無沙汰してしまいました。今日は雨降りなので、弟の車を借りて先生のご自宅まで伺いました。持っていった教本は3つで、シュラーディックとカイザーと鈴木の8巻です。(ここ2年くらい同じで全く進歩のない情けない私っす。)
まずはシュラーディックから見ていただきました。これは左手の練習で究極的に言えば、左手の発音を良くし、かつ良いビブラードをかけやすい柔らかい手の格好を習得するもののようです。メトロノーム80のスピードで超ゆっくりから始めます。各指を押さえるときはゆっくり、離すときは素早くはっきりと、そしてすぐ脱力する。の繰り返しです。大人になるとなかなか細かいところで指(というか体全体が)が言うことを聞きません!私自身も先生に出会う前に変なくせがついているので、なかなか矯正が難しいです。そもそも今日は指が弦を押さえる向きを指摘されました。弦に対し、中指、薬指が殆ど直角に近かったです。が、これは弦に対し平行に近く、かつ指が立ちすぎでもいけないようです。そんなことを気にしていると単純な第一ポジションなのに音程もはずれ、弓まですべりだします。(勘弁して、わたしー!)
次にカイザー。カイザーは子供の頃やったことがなかったので、現在の先生に出会ってから教えていただいています。みっちりやっていただいているので、まだ5番です。カイザーは右手の練習です。同じメロディをデタッシェ、スラー、マルテレ、それらの組み合わせ、などと弾き方を変えて練習します。それぞれ弾くのに適した弓の位置、分量、早さがあり、かつ5番に限っては8分の6拍子というリズムを意識しながら弾かないといけません。自分では全く思いもよらなかったのですが(何分、背の割りに腕が結構長いので)、ダウンのときに、ひじを後ろに引いているので、弓がすべって流れていると指摘されました。先生が「どんな大バイオリニストでも一番見ているのは弦と弓との接点だ。」と言われ、ほぼ暗譜はしているので、とにかく弦と弓が直角になるよう、弓がすべらないよう注意して弾くことに力を入れました。(すると、やっぱり音程が狂っていく情けないあちき)
曲は今回は鈴木の8巻しか持ってこなかったので、前回と同様、巻末のベラチーニのコンチェルト・ソナタの第一楽章をまず弾かせていただこうとしたところ、大先生が「あれ、これは前回終わりませんでしたっけ?」とおっしゃったのですが、「いえ、まだ○をいただいてないので、まだ合格していないのかなーと思いまして・・・へへっ。」(合格すると出来によって大きさの違う○を譜面にいただけます♪)と言って、どうにか弾き終えました。ふーっ。すると、大先生は「随分、こなれた感じになっているので、まぁいいでしょう。」と中くらいの大きさの○をくださいました。で、次の第二楽章が今回の格闘のテーマになりました。前回も少し見ていただいたので、パラオでも練習していましたが、まだ譜面を追うのに精一杯な状況です。それもかなりスローモーなスピードで。教えていただいたことは、いつも忘れぬうちに注意点を楽譜に書き込んでいます。レッスンの帰りにファストフードとか喫茶店に寄って(日本ではこれも楽しみ♪)忘れないうちにばーっと書き込んで、家に帰って弾き直して思い出したところをまた書き込みます。
やはり、先生に見ていただくと、やるべきポイントが明確になるので目からうろこです。自分でだらだら楽譜を追っていたときは、譜読みを間違えて勝手にシャープやナチュラルを落としていたり、スラーを無視していたりとやりたい放題・・・。(お、お恥ずかしい・・・)アマチュアだってバイオリンという見た目も音も「なんでこの世にこんなに素晴らしいものが!」と思える楽器をを叙情的に表現力を持って弾きたいものです。それには先生からどこでフレーズが切れるか、そのフレーズをどのような感じで弾くか、さらに曲の時代背景などのアドバイスをいただけると大変助かります。そして、その表現力というのもある程度は基本というか練習をつまないと得ることができないとつくづく思います。ベラチーニの2楽章はあまり好きな曲ではなかったのですが、先生の指導を受けてみると「なんだ、結構良い曲じゃん!」と思うのでした。
とにかく、パラオにいるとなんか南国のだらけたモードに流されてしまうのですが、もっと自分を律する心を持たないといかん、と思いました。実際、パラオでは忙しさにかまけて練習を怠っていました。バイオリンだけでなく、日々の生活全般において、パラオモードに流されず、もっと頑張らないと!と実感しました。このことは機会があれば後日書きたいと思います。
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| 2006年7月30日(日) |
| 施餓鬼供養 |
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今日は弟と連れ立って、千葉は養老渓谷にあるお寺「養老山・立國寺」に行ってきました。こちらで毎年一度行われる「施餓鬼供養」に参加してきたのです。
まず養老渓谷ですが、粟又の滝(くれぐれも養老の滝ではありません)で知られた千葉県の景勝地の一つであります。「立國寺」はこの養老渓谷にあり、月に一度悩める若者達(若者ばかりとは限らず)を対象に「お坊さん体験三日修行」を行っており、私は2年前に修行生として参加させていただいたことがあります。その後も日本に帰る折にお寺に伺ったり、パラオからもメールでご住職に人生相談に乗っていただいたりしていました。(悩める人々の駆け込み寺ともいえましょう・・・)そのご縁で立國寺のご住職と副住職様には、先の4月に他界した母の一連の法要に来ていただきました。今夏は早くも母の初盆なのですが、お盆の時期にはパラオにいるため、せめてもの供養をと思い本日お寺で行われた「施餓鬼供養」に参加してきました。
さて、その施餓鬼供養ですが、一年に一度この時期に、立國寺の檀家・信徒の皆さんが集い先祖供養をする日であります。お上人様のお話によると元々の言われはお釈迦様の弟子の一人であった目連尊者に発するそうです。目連尊者が亡き母の姿を天界で探し回ったところ見当たらず、地獄まで下ってみると、なんと、あの優しかったお母様は「餓鬼界」で苦しんでいたそうです。お釈迦様に聞いてみると、目連には良き母ではあったが、「けち」の罪で餓鬼界に落ちたそうでした。それも目連を食べさせてゆくが故に、食物を蓄え貧しい人に施しをしなかったからだそうです。施餓鬼供養は元々餓鬼界に落ち、ひもじい思いをしているご先祖を救う意味があるそうです。
今までこの時期に日本に帰ることはなかったので、今回は初めての参加でした。母の49日に帰れず、お盆にも帰れず、また普段満足な先祖供養もできていないのでせめてもの罪滅ぼし且つ、せっかくの機会なのでぎりぎりの申し込みでお寺にご迷惑をかけましたが、参加致しました。本日は60〜70名くらいの檀家の皆さんが集まり、かつて私達修行生が日夜修行に励んだお堂は満杯でした。壁にはずらっと皆さんのご先祖の名前を記した卒塔婆が立てられていました。我が家も両祖父母、叔父達、母と一家の名前を書いた卒塔婆を立てていただきました。
今思い出せば丁度2年前の夏、絶望感を胸に渓谷の川にかかる太鼓橋を渡って、お寺の門をたたきました。あの時は、世界の全てに背中を向けられたような心境でした。誰しも平穏に暮らしているときは仏門(とは限らずいかなる宗教にも)にすがろうとは思わないでしょう。修行を終えた後も悲しい出来事は起こりましたが、このときに多少なりとも仏教の勉強をしていたので、その後の心の持ちようが違ったとつくづく思います。特に一番悲しいペットや身内の死などは特にです。
修行中は朝5時起床、読経、掃除、朝ごはん、読経、昼ご飯、読経と講義、夕ご飯、読経と講義、お堂で就寝。という日々でした。もちろん、お財布も携帯電話も預けさせられます。一番つらかったのは唱題行でこれを2時間弱正座をしたままで修行生一同大きな声が出るまでやらされたのには参りました。が、そんなつらい(もちろん本物のお坊さんになるにはこんな修行は序の口以下なのでしょうが)修行をこなしていくにつれ、あんなに落ち込んでいた修行生達(皆それぞれ悩みを抱えての参加です)もだんだんと生き生きとしてくるものです。お上人様が「大きな声で読経をすることは毒を出す」おっしゃっていた意味を痛感しました。私自身、世の中から消えてなくなりたいほど暗い気分だったのが、たったの一日目でふっと心が軽くなったのを覚えています。就寝前にはお上人様が修行生がゴロ寝を始めるのを回って、人生相談に乗ってくださいました。また、修行の合間の精進料理のおいしかったこと。あのときほど、ありがたくご飯をいただいたことはありません。つくづく衣食住に贅沢を求める現在の自分が恥ずかしくなります。
今日お寺に行って先祖供養の大切さを改めて考えさせられると共に、何よりも修行をした当時の「初心」を思い出せたことがよかったです。これからまた娑婆世間に戻っていきますが、今日の渓谷の中のお寺の清清しい空気を忘れないようにしたいと思います。日本に帰るたびに風邪を引き、今日もつらい体を引きずっての参加でしたが、本当に行ってよかったです。
お盆はご先祖様たちが娑婆に帰ってくるといいます。せめてこの時ばかりは亡きご先祖様に思いを馳せ、懐かしい気分に浸り、感謝の気持ちを思い出すのも良いかと思います。
私はミッションスクールの出なので、週に一度は聖書の授業があり、賛美歌を歌っていましたが、当時のこれといった苦労がなかった私には、ついぞ信仰心が芽生えませんでした。年を取って「もう、どうにもならん!」となったときに、何の迷いもなくインターネットで「お寺での体験修行」を探していました。添乗員をしていた頃、多少の聖書の勉強はヨーロッパの添乗に不可欠でしたし、貴重なキリスト教文化をたくさん見てきましたし、西洋かぶれなところは多々あるのですが、やはり心の深いところは「ド日本人」だったのでしょう。あのティナ・ターナーだって映画の中で「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えてましたものね。
あと、今日の参加の皆さんの中に私の同期生はいなかったのは残念でしたが、中にプリンセス・テンコウみたいな一際目立つきれいなお姉さんがいました。彼女は何者なのかな・・・。立派な大きな声で読経されていたので、舞台女優みたいなイメージでしたが。

お寺の境内を望む。先日の週間文春でも「精神的にも 養老渓谷の名所の一つとなった太鼓橋。ここを渡って
肉体的にも厳しい修行の寺」と紹介が。 お寺に行きます。
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| 2006年7月31日(月) |
| わんこ三回忌 |
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今日で愛犬のワンコちゃんが亡くなり早くも2年が経ちました。(死後2年目が3回忌となります)パラオにいればワンちゃんのお墓にお参りをするところですが、現在日本におりますので、昨日はお寺での施餓鬼供養の際にワンちゃんの写真を一緒に持っていき、心の中でひそかに彼女の冥福を祈りました。ワンコはたったの4歳で尊い命を終わらされました。ワンコは2年前の今日、私が日本に帰っているときに亡くなりました。はっきり言いますと殺されました。原因は確かな証拠はないので断言は避けられますが、心無いあるパラオ人により空気銃で打たれて亡くなったという説が濃厚です。警察が怪しきその人物に尋問をしてくれましたが、やつは「俺でない。」と言ったそうで、動物愛護法もない国です、捜査は終わってしまいました。その人物はパラオで「キ印」として有名です。彼に恨みを買うような覚えは一切ありません。ワンちゃんが亡くなったとき、例のルーマニア人の獣医さんは赴任されておらず、夫はお腹から血を流すワンコを人間のお医者さんに見てもらいました。が、動物のための治療施設が充分整っておらず、同日の夕方に短い一生を終えました。
子供のいない私達にとって、ワンちゃんは子供以上のものであり、かつ大切な友人でもある、かけがえのない存在でした。今でもワンちゃんの毛の流れから、匂い、全てが思い出せます。休日には一緒にいろんな所へ連れて行ったので、どこへ行ってもワンちゃんのお思い出がいっぱいで、思い出すのが嫌で出歩く気もしなかったのを覚えています。いわゆる「ペットロス」です。あんなに無邪気でかわいかったワンちゃんが何で殺されなければならなかったのだろうと、心の整理がつかず、お寺のお師匠さんに相談したり、ネットでも色々と調べました。そうしたら、一般的にはペットロスの症状が緩和されるには8ヶ月程度かかるとありましたが、本当にそのくらいたってようやく、毎晩ワンコを思い出しては泣く生活から開放されました。
ワンコが亡くなったとき、本当にほとほとパラオに住むのが嫌になりました。「ワンコの復讐がしたい。」そう思うのは飼い主であれば自然な心持だと思います。が、お寺の修行で「人を呪わば穴二つ。悪い想念は自分に帰ってくる。」と学んだ私はそういった気持を理性で抑えるしかありませんでした。
中には何もいわず涙を浮かべてがっちり抱き合ってくれた人、隣にきて「もう、泣くのはやめましょう。」と言ってくれた人、一緒にワンコのお墓をほって埋めてくれた従業員達・・・もいます。そんな優しい人々には本当に感謝しています。皆、生前のワンコを可愛がってくれていました。たった一人の心無い人間の行為により、私達飼い主以外にも悲しい思いをした人達がいます。ワンコの死に対する悲しみもそうですが、「そんなことをする人がいた。」という事実をどんな嫌な気分で受け取ったのでしょうか?事実、私は日本の友人達にメールでワンコの死を伝えました。すると、「パラオ人ってそんなにひどいことをする人達なの?」という反応が必ずありました。ワンコの死という事実もそうですが、悪しき行為こそ、多くの人々の心を曇らせたのです。
また、先のもん吉君にしろ、無垢で弱くかわいい動物に(それも人のペットに!)向けて、銃眼を引けるというのは、異次元の行為としか思えません。今でも思い出せば悔しく、悲しいことです。が、どうにか今ペットロスから抜け出せたのは、重ね重ねお寺での修行と単に時が解決してくれたお陰だと思います。
ワンコが生きていてくれればパラオでのつまらない生活がどんなに楽しいものになるでしょう。ワンコが亡くなってから、本当にワンコがいたお陰で楽しかったし、ワンコがいかに私にとって大切な存在だったかを実感しました。それなのに、当時の私は自分のことばかり考えて、結果ワンコのことを守ってあげられず、本当にワンちゃんに申し訳なく思っています。夢の中でもいいから、今でもワンちゃんと会いたいのです。今日はワンコの命日なので、こんなことを日記に書いてしまいましたが、現世にいる私達が悲しみすぎて天界の者達を引っ張ってはいけないとお寺でも習いました。今できることは、せめてワンコの冥福を祈ることです。多分、天国で楽しく遊びまわっていることと思います。ワンちゃんには「ありがとう、ごめんね。」と言いたいです。パラオでペットを飼っている人達は、どうか彼らを大切に守ってあげてください。私も協力します!パラオに住んでいる人達の中には、犬を食べるという人々もいるくらいですから・・・・。
そして、もう一つ。記すべき悲しい出来事があります。本当は書きたくないのです、信じたくないのですが。インパックの従業員・お客様方からも大変可愛がられていた、あの美猫「ミー太郎」が、先日亡くなりました。パラオからの報告によると、車に轢かれたそうで、獣医の先生が手術の準備をしている間に息を引き取ったそうです。パラオに帰る楽しみがなくなってしまいました。本当にパラオでペットを飼うのは至難の業です。
私の日記をご覧いただくとおり、ミーちゃんは大変活動的でかわいい猫でした。先日のお寺での施餓鬼供養では当然、ミーちゃんの成仏もお祈りしてきました。またしても、私が不在の間に愛すべき動物が亡くなりました・・・・・。また、守ってあげられませんでした。動物は話せません。悪気もありません。天真爛漫です。こちらが察してあげないといけません。こんな彼らが不幸な目にあうのは、勘弁してほしいです。(それはパラオに限ったことではないのですが)
ミー太郎ともう会えないと思うと気分が落ち込みます。ミーちゃんのあの丸まっこい顔に会えないなんて信じられません。いたずらっ子で甘えん坊で要領が良くて、敏捷だったミーちゃん。なぜ、君が車に轢かれたのですか?ミーちゃん、短い間でしたが(たったの生後4ヶ月で)今までありがとう。どうか、成仏してください。ミーちゃんの妹のみゃー子は大事にします。
合掌。
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